勝手な思い


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18の前説
  18の1 18の2 19 20 21の1 21の2 22 23 24



 

今日から「諏訪ライブ! 〜古井戸からソロまでの40年を歌う
〜」に向けて「勝手な思い」を書こうと思います。あらかじめ断っ
ておくと、これから書くことは前宣伝の一環として事前に誰かと、
例えばグッドニュース木下やポニーなどと相談したうえで書くもの
ではありません(まあ、これまでもあまり相談して書いてはいなか
ったが)。もちろん旅芸人様とも何の話もしてないので、旅芸人様
の思いと違うことを書いてしまうかもしれないし、もしかしたら逆
鱗に触れてしまうようなことを書いてしまうかもしれない。そのこ
とをあらかじめお断りしておいて、でははじめます。

私のなかでは、4回の諏訪ライブの終了後、一枚のアルバムが制作
されることになっている。内容は、4回のライブで歌われた歌のな
かからセレクトされた加奈崎芳太郎オールタイムベストということ
になる。ただし、それは2012〜13年現在のヴォーカリスト加
奈崎芳太郎にとってのベストということになる。楽曲として素晴ら
しいかどうかではなく、いまの加奈崎芳太郎が歌って素晴らしいか
どうかが評価基準ということです。ライブ音源を使うのかあらたに
録音するのかは決めていないが、それをもってヴォーカリスト加奈
崎芳太郎の到達点を示すものとする。

それ以上のことは未定だが、なぜかアルバムの帯のコピー案だけは
出来ている。それが以下の文である。久しぶりなのでドーパミンの
出が悪く平凡な文章だが、とりあえずは、だいたいこういう内容と
いうことでご理解をいただきたい。いずれドーパミンが出て来たら
書き直します。

(コピー文はじまり)
2001年に咽喉が壊れた。乾いた美声を、圧倒的な声量を、高音
域のすべてを失った。レパートリーの大半を歌えなくなった。引退
の二文字が頭をよぎる。
それでも加奈崎芳太郎は歌い続けた。かつて「最後に残したいもの
はVOICEだ」と語った、その夢をあきらめられなかったから。壊れた
咽喉でも、いや壊れた咽喉だからこそ伝えられるVOICEがある
はずと信じたから。
それから12年。これが加奈崎芳太郎の辿り着いたVOICE。魂
で聴く歌がここにある。
(コピー文おわり)
                                             
 

フライヤーの写真についてポニーが書いている。それを受けて木下
がグッドニュースのHPにUPしてくれた。皆さんが見られる環境
になったので、本日は、あの写真についての勝手な思いを巡らせて
みようと思う。

あの写真を選んだのは誰なんだろう。BBSの書きっぷりでは木下
のような気もする。しかし、加奈崎さんがOKを出さなければあの
写真が使われるわけがないのだから、それは加奈崎さんだといって
もいいだろう。なぜこのことに拘るのかというと、あれはすごく変
な写真だからだ。うまく表現できないが、あの写真を見ていると心
がざわつく。いたたまれないような気にさせられる。裏面のような
カメラ目線の普通に安定感のある写真もあるなかで、なぜあの写真
がチョイスされたのか。

ところで写真のなかの加奈崎さんは何をしているのだろう? 瞑想
しているのだろうか? 祈っているのだろうか? 呆然としている
ようにも、意識的に気配を消しているようにも、気を失っているよ
うにも、死んでいるようにも見える。少なくとも明るく、元気で、
前向きには見えない。分かりやすいサインがどこにもないため、こ
れだと言い当てることができないが、そこに表現されているのが尋
常ではなく深い何かだということは確かだ。

ついに加奈崎さんは目まで見えなくなってしまったのか・・・。最
初にこのフライヤーを目にしたとき、私はそう思った。そんなこと
あるはずないのに、何故かそう思ってしまった。ステージでいつも
サングラスをかけているので、はじめてライブに来た人からよく
「加奈崎さんって目がお悪いんですか?」と聞かれることがある。
そうでないことをよく知っているから私は苦笑しながら否定するの
だが、私の感じたのはそんな軽いノリの何かではなかった。勝手に
そう思ってしまったあと、私はすごく切ない気持ちになった。分か
りやすく言えば、私は泣きそうになってしまったのだ。

私にはこれ以上、自分の感情を説明することができない。未だに自
分が感じたものが何なのか把握できないからだ。しかし、そのとき
ふと頭に浮かんだ情景がある。そのことについて話すことで、少し
でもこの感じを伝えられたらと思う。

狂言に「川上」という演目がある。私は大学時代に観世流の能楽サ
ークルに所属していたので、能とセットで演じられる狂言にも親し
んでいたが、一度だけ狂言の単独公演を見に行ったことがある。そ
れは先代の野村万蔵が演ずる「川上」だった。この万蔵という人は
もう亡くなったが、万作の父、萬斎の祖父という人で、名人上手と
言われ、特に狂言としては異色のシリアスな内容である「川上」を
演じさせたら右に出るものがないと評判だった。

「川上」のストーリーは以下のようなものだ。

盲目の男が、川上という場所にある霊験あらたかな地蔵に参詣し、
目が開くように願う。すると男は霊夢を見、目が見えるようにな
る。男は、大喜びで杖を捨て帰宅し、妻に報告する。ところが、目
をあけてもらうには条件があって、それは妻とは悪縁なので、すぐ
に別れなければいけないというものだった。それを聞いた妻は腹を
立て地蔵をののしり絶対に別れないと言う。これまで自分を支えて
くれた妻のことを思い夫は承知する。すると夫の目は再び見えなく
なり、妻に手を引かれて去っていく。

万蔵は夫を演じるのだが、そのクライマックスは、目が見えること
と妻との関係のどちらを取るか究極の選択を迫られた夫が、一呼吸
の沈黙のあと、すっと手を差し出し「引いてくりゃえ」と妻に告げ
る場面だ(記憶が定かではないがたぶんそんな科白だったように思
う)。

フライヤーを見たとき、私の頭に浮かんだのは「川上」のその場面
だった。加奈崎さんの表情は「引いてくりゃえ」と手を差し出す直
前の万蔵の表情と重なっていた。一呼吸と言ったが、息を詰めて見
入っている私にとってそれは永遠の時間に感じられた。選択できる
はずのないものを選択しなければならない岐路に立たされ、大切な
何かを失う覚悟を決める瞬間の思い。それと同質の何かがフライヤ
ーの写真に封じ込められていると私は感じたのだ。

加奈崎さんはなぜあの写真をチョイスしたのだろう。それが私はも
のすごく気になる。それは、あの写真が醸し出す雰囲気が、これま
での加奈崎さんにはなかったものだと思うからだ。加奈崎さんはこ
れまでと違う世界に行こうとしているのだろうか。あるいはすでに
行ってしまっているのか。6月9日にそれが分かるのだなと私は勝
手に思っている。
                                             
 

なぜ「勝手な思い」というタイトルにしたのか。それはフライヤー
に加奈崎さんが自ら書かれたこの連続ライブへの思いと、私がこの
ライブに期待している思いが違うものだと感じたからだ。

加奈崎さんはこう言う。

(前略)その後、ここから何処へ?と呆然としながら40年間のレ
パートリー千曲あまりのおさらいをしていた。ふと思うと40年前
の曲で20代の自分が気付かずに唄っていたテーマ、願いが今なら
わかるとか、楽曲の不思議さだけど、当時の時代背景や自分の心境
だったり、懐かしかったり、切なかったり、今だったらもっと表現
できるとか、そんな音楽空間を浮遊していた。
最初はもう一歩前へ出る為の自己確認だったけど、これを時代別に
並べて唄い直してみたら、また違う景色が見られるかもと思ったの
です。(後略)

この言葉を素直に読めば、加奈崎さんの今の関心は「唄に込めたメ
ッセージ」にあり、「VOICE」にはない。そのことを承知のう
えで私は「VOICE」に注目してこのシリーズに向き合いたいと
思う。

考えてみれば私はいつも勝手な思いのなかで加奈崎さんを聴いてき
た。あの「Piano-Forte」のときだってそうだ。私はアルバム全体を
歌物語と捉えて長大な評論を書いた。それはメッセージこそがあの
アルバムの命だと思ったからだ。だから、まだアルバムのタイトル
が決まる前に私は加奈崎さんに「世界は僕たちを見ている」をアル
バムタイトルにするべきだと勝手に提案した。しかし、加奈崎さん
が決めたタイトルは「Piano-Forte」だった。加奈崎さんのなかでは
唄のメッセージよりも、中西さんのピアノと共演するという音色の
方が重要だったということだ。それは私にとってちょっとショック
なことだったが、私は軌道修正することなくメッセージに拘って評
論を書いた。

しかしそれはいけないことだろうか。伝えたい思いと受け取りたい
思いが異なっていることを承知しながら加奈崎さんは唄い、私は聴
く。それはすれ違いではない。思いと思いのバトルだ。少なくとも
私のなかではそうだ。そのとき、何らかの化学反応が起こるかもし
れない。思いもしない何かが生まれるかもしれない。

そんな期待を、勝手な思いのなかで私はしている。
                                             
 

「諏訪ライブ」のフライヤーの裏面には加奈崎さん手書きのメッセ
ージが記されている。その文章はこう締めくくられている。

(引用はじめ)
汐に流され海の底に沈み、行き場のないガレキの中にまぎれた
感情を伝えるべき言葉をひとつひとつ拾い集めなければ
何も語り合うことのできない、今。
(引用おわり)

私が説明するまでもなく、これを読めば加奈崎さんが3・11を強
く意識し、3・11後に語るべき言葉、歌うべき歌について思いを
巡らしていることが分かる。このメッセージを素直に読めば、
「6・9諏訪ライブ」のテーマは、いま語るべき言葉、いま歌うべ
き歌の詞ということになる。

では、実際に6・9に選ばれ歌われた歌はそういう歌だったのだろ
うか。

といったところから、6・9を巡っての「勝手な思い」をはじめよ
うと思う。

                    (つづく)
                                             
 

「6・9諏訪ライブ」のテーマは、いま語るべき言葉、いま歌うべ
き歌の詞だったのだろうか、という話だった。

結論を先にいうと、私にはそうは思えなかった。加奈崎さんは、自
分の言葉とは裏腹に、それに注目して聞きたいと私が言った「残す
べきVOICE」を選び、歌ったのだと思う。

しかし、それは、私がそう思いたかったから、私にはそう聞こえた
ということなのかもしれない。

なぜなら、久々の新曲「ワーズ」は、明らかに、「いま語るべき言
葉、いま歌うべき歌の詞」についての歌だったからだ。この歌は、
フライヤーで加奈崎さんが語っていることと表裏一体のものとして
歌われた歌だ。そして、それは素晴らしい歌であり、メッセージだ
ったと思う(正確な歌詞を確認することができないので、断言する
自信はないが)。

新曲として加奈崎さんが歌ったのが、そういう歌であったというこ
とを認めたうえで、それでも私は、「6・9諏訪ライブ」で加奈崎
さんが表現したのは「残すべきVOICE」だったのだということ
で話を始めようとしている。

まさに「勝手な思い」である。
                         (つづく)

                                             
 

気づけは来週の今日は「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 〜古井戸か
らソロまでの40年を歌う〜 第2回目の1980年代を歌う」では
ないか。

第1回のセットリストを上げたまま、レポートの枕に使おうとして
いたことを蓮尾さんに書かれてしまったなどと言い訳をし、別の切
り口から書きはじめて、それっきりになってしまった。もしも、レ
ポートを期待していた人が居たとしたら、申し訳ありませんでし
た。

書き継げなかった理由ははっきりしている。私は加奈崎さんがあの
晩選び歌った歌1曲1曲についての感想を述べながら、同時に諏訪
ライブ4回が終了したあとに製作されると勝手に夢想している「V
OICE」というアルバム(勝手にタイトルまで決めてる)に収録
すべきVOICEであるかどうか判定をしようとしていたのであ
る。

しかしそういう形では1行も書くことが出来なかった。それは、い
くら「勝手な思い」と謳ってはいても、そこまでしてしまっていい
のかという恐れのようなものを感じはじめてしまったからだ。

そうして今日まで無駄に時間を過ごしてきたのだが、あと1週間と
なって、このまま第2回を迎えていいのかと、いたたまれなくなっ
てきた。そこで、間に合うかどうかは分からないが、書きはじめよ
うと思う。

書くのは加奈崎さんの新曲「WORDS」のVOICEについて
だ。「WORDS」について書くなら詞(ことば)についてでしょ
う、という声が聞こえてきそうだが、あえてVOICEを問題にす
る。それが「第2回 1980年代を歌う」への架け橋になればい
いのだが、そうなるかどうかは私にもまだ分からない。

ここで「WORDS」の音源を流せればカッコいいのだが、出来な
いので勝手に歌詞を掲載させてもらう。VOICEと言っておいて
歌詞かよとのご批判はごもっともだが、タイトルだけでは聞いたこ
とのない人には、何のイメージもわかないと思うからだ。なお聞い
たものを文字化しているので、漢字は勝手に当ててあります。

管理人:薫
著作権に引っかかるので、歌詞部分は削除させていただきました。

                                             
 

「WORDS」の話である。

ここでちょっと遠回りになるが、今回「WORDS」のVOICE
について思いを巡らすようになったきっかけについて話しておきた
い。きっかけは8月19日のフォークフェスタだ。その日私は6月9
日以来2回目の「WORDS」を聴くことが出来た。それは深く心に
残った。

問題はその後である、海援隊のスタッフの皆さんをホテルに送り届
けた帰り道で、撤収が終わった帰り道で、私は車に積んであった
「古井戸の世界」のMDを探し出し、ずっとそれを聞いていた。そ
のときは何故いま「古井戸の世界」の気分なのか自分でも理解でき
ず、やっぱ名盤だな、もしかしたらこれがベストアルバムなんじゃ
ないかなどと考えながら、深い意味も考えず聞いていた。

そのことに意味があったのだと気づいたのは、「フォークフェス
タ」の会場でこっそり録音した「WORDS」を繰り返し聞いてい
たときだ(これもやはり問題かな?)

ひさびさの加奈崎さんの新曲は、3・11以降はじめての曲という
ことで、その歌詞(メッセージ)に注目されることが多いと思う
し、そうあるべきだとは思う。しかし、私はそのことよりもその声
の質感、つまりVOICEに惹きつけられていた。一言でいうと、
それは心地いい声だった。

もう少し具体的に言おう。これは歌ってみると分かるのだが、加奈
崎さんを真似て自分で同じ声を作ってみて最も気持ちいいのは、
「崩れ流されたまま」の「たーまま」の部分とか、「伝えたい言葉
は」の「ことーばは」の部分といった部分だった。ふつうに考えれ
ばサビの「生きること 死ぬこと 楽しむこと 悲しむこと」の部
分が聞かせ所なのだろうが、もちろんそこもいいのだが、私は先に
挙げた部分にいかにも加奈崎芳太郎らしいVOICEを感じ、惹き
つけられたのだ。

実は私が挙げた部分はどちらも音を高く張る部分ではなく、前後の
メロディラインのなかでは底の部分だ。そこを加奈崎さんは、咽喉
を横に広げてぐいと押さえ込むように歌う。そのことによって響き
はないが輪郭のはっきりした音が生まれる。

これから述べることは、素人が何を言っているんだという類のこと
だが、これも「勝手な思い」の一部だと思って我慢して聞いてくだ
さい(声楽を専門にやっている人は読まなかったことにしてくださ
い)。しっかり腹式呼吸で歌うと当然声は伸びやかになる。しかし
それは高音部の張って歌う部分のことではないのだろうか。その発
声法のままで低い音に移行すると、息の割合が多くなり音の輪郭が
ぼやけて弱い感じの声になってしまう。例えばオペラ歌手などが小
学唱歌を歌っているのを聞くと、音の出し方の技術としてはそうす
ることが正しいのだろうが、日本語の表現としてそれはどうなのと
感じることが多い。その違和感は中低音部を高音部と同じ発声法で
歌ってしまうことに原因があるのではないかと思う。

これも私の勝手な理論なのだが、人がしゃべっている声の高さから
自然に移行できる音域。多くの人にとって男性ならテノール、女性
ならアルトがその音域ということになるのだろうが、その部分は地
声に近い歌い方で歌ったほうがいいのではないか。このことは昔、
サンタラのボーカル田村キョウコの声の魅力を表現するときに思い
ついたことなのでちょっとそのことに触れる。彼女の地声に近い感
じで歌うアルト音域の声には何故かはすっぱな響きがあってそれが
Sっぽい色気となっておじさん(私のことである)の心を鷲みにす
るのだが、それは彼女に生まれつき特権的に備わっているもので、
訓練して作れるようなものではないということを、そのとき私は言
った。そして彼女を特権的肉体の持ち主だといって持ち上げて見せ
た(もうずいぶん昔のことだ。ところでサンタラはいまどうしてい
るのだろう)。

ここでまたちょっと話をずらず。ボイストレーニングというものが
どういうものなのか知っているわけではないが、それが腹式呼吸を
マスターすることを中心としたプログラムだとしたら、それによっ
て高音域は誰でもいい声になる。例えば、デビュー当時の山口百恵
は高音域が全く出ずキイキイと苦しそうに歌っていた。ところが
「横須賀ストーリー」あたりではまだキイキイ声だったものが、二
十歳記念のアルバム「曼珠沙華」とその次の「A Face in a
Vision」あたりで激変する。たぶん続けてきたボイストレーニング
の成果が現れたということなのだろう、その辺から山口百恵は伸び
やかで繊細な高音域を手に入れる。それは見事なまでの変身だった
のだが、ではその高音域に山口百恵っぽさを感じることができたか
というとそうではなかった。ファンの一人としては山口百恵が高音
域を獲得したことは素直に嬉しかったのだが、その音色は他の歌の
上手い歌手と同じ音色を手に入れたことでしかなかった。だからと
いって山口百恵が山口百恵らしい声を失ったわけではなかった。彼
女の低めのアルト、つまり私に言わせれば彼女の地声に近い歌声
は、誰にも真似出来ない彼女独自の声として、高音域を手に入れた
あとも保存されていたのである。

私は最近の歌手、特に女性は、本当に歌が上手くなったと思ってい
るのだが、ところがみんなして上手くなればなるほど無個性になっ
ていくような気がしている。個性的ということで言えば昔の歌手の
ほうが個性的な声だった。でもたぶん発声法ということでいう今の
人のほうがはるかによく出来ているのではないか。発声法が出来て
ない個性的な歌手が減り、発声法が出来ている無個性の歌手が増え
る。そういったことが進行しているような気がするのは私だけだろ
うか。

このままだと話がとどんどん遠くまで飛んでいってしまいそうなの
で元に戻そう。高音域はトレーニングで獲得できる(いまの加奈崎
さんのように咽喉を壊していれば別だが)。しかし、それを正式に
勉強すればするほど個性のない美しい声に収斂していく(これはも
ちろん私の勝手な考えである)。ところが、しゃべり声の音域に近
い部分は、腹式呼吸を使わない地声でも歌えることから、その人の
声の個性が出やすい。その音域を地声に近い声で歌うか、地声を消
した作られた声で歌うかは、ひとそれぞれ、あるいは楽曲ごとかも
しれないが。地声を残して歌うほうがその人の個性が出る。しか
も、その地声は天性のものであって、地声に近い音域の声が魅力的
であるかどうかこそが、その人が歌手として魅力的かどうかの決定
的な要素なのだ(もちろんこれも私の勝手な考えである)。

この理論に従えば、ボイストレーニングをして伸びやかで高音域を
手に入れても、地声に近い音域は地声を残した歌い方をすればいい
のだ。それが出来、なおかつその地声に近い声が魅力的な人が魅了
的な歌手ということになる。

さて、ながながと書いてしまったが、ここで私が「勝手に」述べた
ことに多少なりとも真実があったと仮定すると、そのことを前提と
してどういうことが言えるかということである。「WORDS」で
私を惹きつけた加奈崎さんのVOICEと、その直後に私が「古井
戸の世界」を聞きたくなったことと、「地声に近い音域の声が魅力
的かどうかでその人が歌手として魅力的かどうかが決まる」という
私の勝手な論理はどう結びつくのであろうかというところまで来
た。といったところで以下次回とさせていただきます。
                       (つづく)
                                             
 

貴重な時間を2日も無駄にしてしまった。しかも今日はiphoneから
打っている。たぶん途中でトラブるだろう。ダメなら明日PCから
修正することにして、行けるとこまで行ってみよう。今日は「古井
戸の世界」の話だ。

「WORDS」を繰り返し聞くうちに、「古井戸の世界」を聞きた
くなった意味が分かったという話をした。先に結論を言うと、「W
ORDS」には、かつて高校生であった私を虜にしたVOICEと
同じVOICEがあったのだ。それを無意識に感じた私は「古井戸
の世界」を引っ張り出したとうわけだ。具体的に言おう。

「古井戸の世界」の一曲目は「ごろ寝」だが、その楽曲としての魅
力はどこにあるのだろう。もしかしたら、かつてギター小僧だった
人には、ボンゴとギターのストロークだけのこの曲は、あまり魅力
的なレパートリーではなかったかもしれない。だが、ボーカル担当
としては、外せない曲だった(私はいまコピーバンドの話をしてい
る)。だから、2009年の「唄の市」で浦沢直樹さんが加奈崎さん
におねだりして、この曲を一緒に演奏したとき、私は仲間を発見し
たことの嬉しさ半分、嫉妬心半分の、複雑な気持ちになった。

この話に深入りすると話が逸れそうだなので、元に戻そう。ボーカ
ル担当から見た「ごろ寝」の聞かせどころはどこか。と言っておき
ながら、これまでそのことを深く考えたこともなかった。この曲は
歌っていて気持ちがいい。だから繰り返し歌ったのだが、そうやっ
て何度も歌っていながら、実はどこが気持ちいいのか認識していた
わけではなかった。しかし、今回のことがあって始めて深く考え、
そして分かった(気になった)。

では、どう分かったのか。この曲の聞かせどころは、普通なら「う
ずうずしても」からのサビの部分と言いたくなる(だいたいの歌の
聞かせどことはサビの部分だから)。さもなくば「畳の上で」を「
うヘェでェ」と声を裏返すところだという人かいるかもしれない。
たしかにそれもいいのだが、私がオシッコちびりそうなくらいヤら
れたのは別の場所だったということに今回はじめて気づいた。それ
は「ほらごろ寝 ほらね」の、二つ目の「ね」だったのだ。これは
何度も歌ってみて確認したから間違いない。高校生の頃の私は無意
識のうちにそこを上手く歌いたいと思っていたのだ。

前回の話で言うと、低い音は正しい発声法(と咽喉の開きかた)で
歌うと息の割合が多くなり音の輪郭がぼやけてしまう。それを加奈
崎さんは腹式呼吸でありながら咽喉を横に広げ、ぐいと押さえ込み
地声に近い声で歌う。そのことにより独特の強い感じが生まれるの
だが、それこそが他の追随を許さない加奈崎芳太郎のVOICEの
魅力だと私は思う。だからこそ、私はそんな風に歌いたくて、チャ
ボ役の三浦から借りたレコードを擦り切れるほど聞いては練習した
のだ(上手く出来たかどうかはここでは問題ではない、ということ
にしておいてください)。

それこそが加奈崎芳太郎のストロングポイントだという例をもうひ
とつだけ示そう。「古井戸の世界」と言っておきながら、これは
「オレンジ色のスケッチ」のなかの曲だが、「ねむけざまし」とい
う曲がある。加奈崎さんは、その歌のサビ前までの部分を、どちら
かというとソフトな感じで、ちょっと取り澄ました感じで歌う。咽
喉を横に広げて押さえ込む歌い方が出来そうなところでもそれをし
ない。だから、その部分はあまり加奈崎芳太郎を感じない。それが
サビで加奈崎芳太郎全開となる。

前回の私の説では、高音域は正しい歌い方で歌うしかないので、上
手く歌えば歌うほど無個性になる。では高音域を使うサビの部分で
どのように加奈崎芳太郎らしさを表現しているのだろうか。サビの
なかで私にとって加奈崎芳太郎らしいVOICEだと感じられる箇
所を拾うと、例外なく音が下がっている箇所だということに気づく。
「春は」の助詞の「は」、「僕を」の「をォ」、「置いてまたどこ
かへ」の「て」と「え」は、すべて音が下がった所であり、そこで
の例のVOICEのお陰で、サビ全体が加奈崎節として聞こえると
いうわけだ。

前回、私が指摘した「WORDS」のなかの加奈崎芳太郎らしいV
OICEも、全て音が下がった箇所だった。古井戸時代の加奈崎さ
んには、声が大きくて高音も楽々と出せるというイメージがあるた
め、どうしても声を張る高音域に目(耳)が行きがちだ。しかし加
奈崎芳太郎のVOICEの魅力は地声に近い中低音にこそある。そ
してその声質が輪郭のはっきりした強い声であることから、その魅
力は、元々強い表現を要求されるロック調の曲よりも、却って、ゆ
ったりした曲や、感傷的な内容の曲で、際立つというのが、私のた
どり着いた結論である。

60年代から70年代にかけての、ほとんどのフォークシンガーが、
ソングライターではあってもシンガーとは名ばかりで、腹式呼吸も
何も知らず、適当にふにゃふにゃ歌ってた時代に、独自の発声法を
持ち、はっきりした輪郭の声と、だからこそ音程正しく表現出来た
加奈崎芳太郎という存在は、それだけでも驚異な存在だった。そし
て、いまになってもかつての加奈崎さんのように中低音域を歌う人
は現れない。そのVOICEが、独特の強さを持ち、耳に心地いい
男を感じさせる音色であるにもかかわらず、誰も真似しないところ
をみると、やはりそれは加奈崎芳太郎という特権的肉体にしか許さ
れない表現だったのかもしれないと思うのである。(つづく)

                                             
 

前回私が言ったことが、本当なのかどうか確かめるために、「古井
戸の世界」と「オレンジ色のスケッチ」を何度も聞いた。聞き過ぎ
て、却ってごちゃごちゃになってしまったところがないとは言えな
いが、9月8日を目前にした今、いったん冷却期間をおくゆとりは
ないので、とりあえず今日現在感じていることをメモ程度にまとめ
ておこうと思う(これは、もう少し時間をかけて熟成させれば違う
考えが生まれてくるかもしれないということだ)。

「ほえじー」は聞いていない。それはそこまでの時間がなかったと
いうこともあるが、予想として、そこらあたりからボーカリスト加
奈崎芳太郎の洗練化がはじまると感じるからだ。一曲目の「落ち葉
の上を」を思い浮かべるだけでそれは分かるような気がする。そし
て、その洗練された加奈崎芳太郎のVOICEは、ここで私が問題
にしようとしてるVOICEとは種類が違うと思うからだ。

さて、「古井戸の世界」と「オレンジ色のスケッチ」を並べて、加
奈崎さんのVOICEだけに注目して聞くと、予想外のことが見え
て来た。それは、私がいかにも加奈崎芳太郎らしいと指摘した歌い
方、それは中低音を腹式呼吸を用いながらも咽喉を横に開き押さえ
込むようにして地声に近い声で歌う歌い方のことだが、いちいちそ
う書くのが面倒臭くなってきたので、それを今後は「加奈崎VOI
CE(仮称)」と呼ぶことにするが、それは「古井戸の世界」より
も「オレンジ色のスケッチ」に色濃く表現されているということだ
。では、なぜ私は「古井戸の世界」を思ったのだろう。それも理由
のあることだったと、今は思う。その説明をしよう。

「古井戸の世界」における加奈崎芳太郎の歌唱法はひとつではない
。そういえば「オレンジ色のスケッチ」だってそうだが、「古井戸
の世界」のほうが幅が広い。面白いのは、加奈崎芳太郎作詞作曲の
歌のほうが、「加奈崎VOICE(仮称)」の色合いが薄い。いま
それを、いちいち曲名をあげて言うことはしない。それをやりだす
と、前回とりあげた「ねむけざまし」のように一曲のなかでも歌い
方が違ったりするので、そんなに単純に分類できないからだ。だか
ら、いまは「古井戸の世界」には、「ごろ寝」に感じたような「加
奈崎VOICE(仮称)」の濃い歌と、そうでない歌が混在してい
るということだけを押さえておく。

それから、これは「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」どち
らにも言えることだが、もともと激しい表現や強い表現を求める歌
のなかには、もともと強い「加奈崎VOICE」をそのままぶつけ
ているために、却って「加奈崎VOICE」のよさを感じられなか
ったり、感じにくくなっている歌がある。これも具体的な曲名は挙
げない(この問題は、「ぽえじー」以降に技術的に解決されたよう
に思う)。

こういうことが見えてきてみると、高校時代に自分が選んでコピー
していた曲が、「加奈崎VOICE(仮称)」の色濃い歌ばかりで
あったことにあらためて気づく。古井戸のなかではポピュラーな曲
で周りから演ってとリクエストされたのに取り上げなかった曲もあ
ったが(「さなえちゃん」じゃないよ)、そういう曲をいま聴きな
おしてみると、「加奈崎VOICE(仮称)」があまり感じられな
い曲が多かった(もうひとつ、B♭のように、ハイコードを知らな
かった当時の私には押さえられないコードを含む曲も当然外された
。なさけない)。

幸いにも、私の組んでいた古井戸コピーバンドの選曲権は常に私に
あった。私のほうがギターが下手だったからだ。私が弾ける曲、私
が歌いたい曲を選んで、そのチャボのパートを三浦がコピーできる
ようになったらレパートリーとなる、そういうバンドだった。決し
て、三浦がどうしても弾きたいチャボのフレーズやリフがあるから
レパートリーに入れるということはなかった。自分の歌いたくない
曲を、それ弾けないと言って外すことが私には出来たからだ。その
ため私は自分のギターテクニックの範囲内で、歌いたい曲を自由に
選ぶことができた。その過程で、無自覚ではあったが、「加奈崎V
OICE(仮称)」の本質に気づいていったのだと、今になって思
う。

ここまで述べてきたことの発端となっている、「加奈崎VOICE
(仮称)」が「古井戸の世界」よりも「オレンジ色のスケッチ」に
色濃く表現されているのに、「WORDS」を聞いた後、なぜ「古
井戸の世界」を強く思ったのだろうかという問題だが、それはたぶ
ん、多様な歌唱法が含まれる「古井戸の世界」のほうが、惹かれる
VOICEの含まれる歌をレパートリーに加え、そうでない歌を外
すという意味で選択性が強かったからではないかと思う。無意識に
「加奈崎VOICE(仮称)」を探し、選曲していたときの自分と
、「WORDS」に反応した自分が、自分のなかで重なったという
ことなのだと思う。そして、その象徴が「ごろ寝」への執着だった
のだ。

「加奈崎VOICE(仮称)」は「オレンジ色のスケッチ」におい
て完成する。完成という意味は、ひとつには「ぽえじー」において
洗練化という方向で早くも解体が始まるからであるが、それだけで
はなく、「オレンジ色のスケッチ」で「加奈崎VOICE(仮称)
」の全面展開が図られるからだ。そのことを加奈崎さんが自覚的に
行ったのかどうかは私の知るところではないが、「オレンジ色のス
ケッチ」では、私が無個性化する運命にあるといった高音域におい
ても「加奈崎VOICE(仮称)」が表現されているからだ(それ
は「ねむけざまし」のそれとは意味が違う)。

これもどれがそうだとは言わないが、加奈崎さんは高音域において
も、地声の色合いを残そうと挑戦しているように見える。その最た
るものが「雨の日の街」の「アーァ」だ。あの高い音でも加奈崎さ
んは咽喉を横に広げて地声に近い声を出そうとしている。高い音を
出すときは普通はO(オー)の形に縦長に咽喉をひらくが、それを
わざわざ横に広げ押しつぶして狭めているのだから声の通りは悪く
なる。たいがいは咽喉が詰まって歌えなくなる(むせてしまう)の
だが、それを加奈崎さんは息を弱めたり細くすることなく大音量で
出し切ってしまう。そのためには、わざわざ狭くした咽喉を突き通
すものすごい量の息が必要になるのだろうと思う(思うというのは
、この声は私には結局うまく出せなかったからだ)が、それを加奈
崎さんはやっている。

これが可能になれば、あとは自由自在だ。自分が使いたいと思うと
ころに「加奈崎VOICE(仮称)」のいい声を響かせればいいか
らだ。そしてその究極の表現が「ポスターカラー」なのだと思う。
思えば、「ポスターカラー」は、「さなえちゃん」を除くと最初に
出会った古井戸の歌で、それはつまり最初に出会った加奈崎さんの
VOICEであった。その声の魅力に私は一度に持っていかれたの
だが、聞き込むうちに、いつしかそれは歌を歌う以上はいつかはた
どり着きたいと願い続ける目標となった。

「ポスターカラー」には、さきほどの「雨の日の街」ほどではない
が、高音域における「加奈崎VOICE(仮称)」がある。そして
、多くの人は、その声を張る部分をもってこの曲の聞きどころだと
言うだろう。もちろん私もその張る部分をフルパワーで歌った。わ
たしは中学時代に応援団長をしていたために大声を出すことは得意
だった。襖と障子で出来ていたかつての日本家屋では、ギターをチ
ロチロ爪弾くことは出来ても、大声で歌うことはためらわれた。恥
ずかしかったし、それを乗り越えて歌うと今度は怒られもした。そ
んなわけで、多くの仲間は自分の声量のマックスを一度も試したこ
ともなく歌を歌っていた、そんななかで応援団仕込みの私の声のデ
カさは際立っていた。そしてそれだけでボーカリストとして認めら
れた。

しかし、私が「ポスターカラー」を歌うとき、一番苦心したのは実
はそこではなかった。「こんな小さなポスターカラーで何を描こう
か」という出だしのフレーズを、どうやったら加奈崎芳太郎のよう
に歌うことができるか、あの硬質な声をどうやったら出せるか、そ
ればかりを考えていたのだ。

考えてみれば、「ポスターカラー」における加奈崎芳太郎の表現は
不可思議だ。この歌の歌詞は、一番最初と一番最後のフレーズ以外
のほとんどが別れてしまった女の子の言葉だ。彼女のことを忘れら
れない女々しい男の子が、二人の共有した時間を、その場面の彼女
の言葉とともに思い出しているという構図だ。

もしも、この曲を加奈崎芳太郎がこう表現していると知らずに、楽
譜として渡されて自由に歌ってみてと言われたら、どうするだろう
か(私は楽譜を読めないが、いまは読めることとして)。女性のし
ゃべった言葉の部分を、あの「加奈崎VOICE(仮称)」で歌う
という発想が果たしてありえたろうか。そこは、いかにも女性っぽ
く女々しく歌うというのが、あの時代の普通の感覚ではなかったか
。たとえば「神田川」がそうであったように。また、「花言葉〜大
雪のあとで」や「賛美歌」からうかがい知れるチャボさんの感性か
ら言えば、もしかしたら加奈崎さんがチャボさんから最初に提示さ

れた「ポスターカラー」の原形は、女々しさをストレートに表現し
たもっとぐにゃぐにゃした歌ではなかったか(これは私の全くの妄
想だ)。

しかし、それがボーカリスト加奈崎芳太郎の手にかかると、くっき
りとした輪郭を持った歌になる。乾いた硬質なVOICEによって
表現されることにより、もしかしたら最初はあった女々しくて、弱
々しくて、うじうじとしたウエットな部分はきれいに拭い去られ、
類を見ない力強い表現として提示される。女々しい内容を、男っぽ
い声が、力強く表現するというギャップの大きさによって、男の思
いがどれほどものであるかが、ひしひしと伝わってくる。そういう
、誰も真似の出来ない表現に、「加奈崎VOICE(仮称)」を武
器に、加奈崎芳太郎はたどり着いたのだ。

「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」を「加奈崎VOICE
(仮称)」の表現としての切り口から見直すときっともっとたくさ
んのことが見えてくるだろう。しかし、最初にいったように、いま
の私は少々混乱している。そこで、これ以上のことは、いったん冷
却期間をおいてからのほうがいいように思う。というわけで、この
話はいったん閉じようと思う。

ここまで言えば、もう結論として何を私が言おうとしていて、それ
を、「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 〜古井戸からソロまでの40
年を歌う〜 第2回 1980年代を歌う」にどうつなげようとし
ているかは、言わずもがなのような気もする。その、分かりきった
結論については、ちょっとインターバルを取って、後ほどということにしたいと思う。 (つづく)


                                             
 
10
まず、ここまでに述べてきた事を整理しよう。

1 「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」時代の加奈崎芳太
郎は、中低音域を、腹式呼吸でありながら咽喉を横に広げ、ぐいと
押さえ込み地声に近い声で歌っていた。そのことにより輪郭のはっ
きりした、硬質で乾いた強い中低音の声が生まれたが、それは他の
追随を許さない加奈崎芳太郎だけの特権的VOICEであった。

2 「オレンジ色のスケッチ」において、加奈崎芳太郎は、そのV
OICEをすべての音域に拡大しようとする。その結果、中低音域
ばかりではなく、トレーニングして上手くなればなるほど無個性化
するはずの高音域においてもそのVOICEは表現され、これによ
り加奈崎芳太郎のVOICEは完成し無敵となる。

3 しかし、加奈崎芳太郎はその完成されたVOICEに留まらな
かった。「ぽえじー」において洗練化がはじまったが、それを契機
に加奈崎芳太郎のVOICEはいったん解体され再構築されること
になる(と思うのだが、このことについてはまだ一行も書いてない)。

4 「WORDS」を聴いた私が思い出したのは、この「古井戸の
世界」「オレンジ色のスケッチ」時代のVOICEだった。

以上であるが、こうやって結論だけを再整理して、枝葉の部分を取
り去ってみると、我ながら、いかにも眉唾ものである。しかし、書
いてしまったものはしかたがない。加奈崎さんも「自由に語れ」と
いって下さっているので、このまま終わりまで突き進もうと思う。

私がいますべきことは、ここまで述べてきた「勝手な思い」を、明
日の「諏訪ライブ」につなげることだった。ではどうつなぐかだ。

「練習」で加奈崎さん自らおっしゃっているように、「前は出てい
た声は今は出ない」のが、加奈崎さんの現状だ。しかし、それは多
分高音域のことなのだ。高音域の声は出ないが、中低音域は出るし
、その声は「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」時代を髣髴
とさせる、高校時代の私を痺れさせたVOICEのままであった。
そのことを、新曲「WORDS」を聞くことで私は再認識した。さ
らに、あらためて音源を聞き返すことで、絶頂期には高音域でも聞
くことができたそのVOICEは、もともとは中低音域のものであ
ったことを再確認した。

明日、加奈崎さんが1980年代の歌をどう料理して私たちの前に
並べて見せてくれるのか。そのことに何か口を挟むつもりも、そん
な権限も能力も私にはない。ただ、聞き手の一人として、以下のよ
うな心構えでその場に臨むつもりだと決意表明することは許される
だろう。その決意表明をもって、「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 
〜古井戸からソロまでの40年を歌う〜 第2回 1980年代を
歌う」前の「勝手な思い」に区切りをつけよう。

加奈崎さんが咽喉を壊してから、高音域のいい声を聞くことはかな
わぬ夢となった。加奈崎さんのレパートリーの多くは音域が高めに
設定されていたから、そのことに対する喪失感は計り知れないほど
大きかった。それから10年以上が経った。にもかかわらず、相変
わらず、二度と聞くことができない声を求め続けていた自分がいた
。だから、加奈崎さんが出ないはずの音域を含む楽曲を演奏し、そ
の出ない音を無理に出そうと苦しんでいるのを見るたびに、ああこ
の声も出ないんだ、あの声も出ないんだと、つらい気持ちになった
。そして、いつの間にか、出ない音を自分のイメージで補って、出
ているものとして聞くようになっていた。しかし、それは死んだ恋
人の面影を追い求めているようなもので、その行為にはなんの救い
もなかった。

ところが、私は思い出した。自分が一番最初に惚れ込んだ加奈崎さ
んの声は高音域の声ではなかったことを。そして気づいた。その声
を加奈崎さんが未だに失っていなかったことに。幸いなことに、明
日聞くことになる1980年代の加奈崎さんの歌を私はほとんど知
らない。幸いなことにと言ったのは、その歌に関する先入観を私が
何も持っていないからだ。だから、私は6・9に「WORDS」と
出会ったときのように何の先入観もなしに、自由に、それらの歌と
出会うことが出来る。1980年代の加奈崎芳太郎として表現され
る歌が素晴らしいかどうか、私にとっての観点はたったひとつだ。
それはその歌のなかに、高校時代の私を虜にしたのと同質の、ある
いはそれを超えるような「VOICE」を、私が発見することがで
きるかどうかだけだ。

いまはただ、1980年代の加奈崎芳太郎の歌たちとの出会いが良
きものであることを祈るばかりである。


                                             
 
11
単身赴任先の宿舎から職場まで徒歩20数分。こちらは落葉も最盛
期を過ぎ、めっきり寒さが厳しくなって来ましたが、この時期に私
は敢えて徒歩通勤をはじめました。目的は健康のためなんかではな
い。帰り道の私だけの楽しみのためです。

6時過ぎに今日の仕事を終え、外套を着込み一人職場を出る。黄昏
時も疾うに去り、もはや漆黒の夜だ。木枯らしに背を丸めながら、
街灯もない道を火の気のない宿舎を目指してとぼとぼ歩く。その時
聴こえてくるのが「冬の夜の深さについて」だ。ポケットのなかの
iPhoneから流れ出してくる加奈崎さんの唄声を聴きながら、我が身
の侘しさを真正面から受け止め味わい尽くす。これが楽しみですと
いう生活は、余りに切ないというべきでしょうか? それとも何と
も贅沢と言うべきでしょうか? 皆さま、御無沙汰しております、
BOMBです。

まんせる様が、薫正のおふたりのライブまでひと月を切ったと仰っ
ていましたが、もう一つ、この週末でひと月を切ったものがござい
ます。言わずと知れた、加奈崎さんの諏訪ライブの3回目です。と
いうわけで「勝手な思い」を勝手に再開させていただきます。3回
目は「90年代を歌う」ですが、そういえば「冬の夜の深さについ
て」も90年代のアルバムでした。ということは、私たちは今回「
ひつじかいのうた」や「GOSPEL」を聴くことが出来るという
ことでしょうか? そこんところ、どうなんでしょう。


                                             
 
12
私が書こうとするのは、もちろんVOICEの話である。しかし9月の
ライブ前に私が語ったのは「オレンジ色のスケッチ」までのことで
ある。これを引き続き年代順に語っていたら、とてもではないが1
2月15日までに1990年代の歌に届かない。というより今の私
には、それを語り切る自信がない。

さらに前回のライブで手に入れたいくつかの音源が、私に混乱をも
たらし、9月のライブ前に書いたことの延長線上に書き継ぐことを
許してくれないという事情もある。そこで今回は、いくつかの音源
が私にどのような混乱をもたらし、その混乱を通してVOICEに
ついて私が何を考えたのか出来るだけ正直に語ってみようと思う。
その果てに何処に辿り着くのか、着かないのか、今の時点では全く
分からないが、取りあえずスタートして見よう。

今日は私に混乱を与えた音源が何かを紹介して終わる。iphoneでの
長文はやはり辛い。

1、まんせるさんからいただいた、6月の「70年代を歌う」の加
奈崎芳太郎デジサポ隊の公式記録DVD。
2、私がiphoneでこっそり録音した9月の「80年代を歌う」の非
公式音源。
3、9月のライブ会場で買った、「愛がもしすべてなら・・・」
「風の生き方」という加奈崎さんの2枚の復刻アルバム。

ということで、本日はこれまで。

                                             
 
13の1
「勝手な思い 12」を書いたのが、11月20日、今回はライブ
までたっぷり時間があるぞと思っていたら、何も書かないまま、気
づけば本日は12月4日ではないか。諏訪ライブまで10日しかな
い! まあいろいろと事情があってのことではあるが、もうこれ以
上無駄に日を過ごすわけにいかない。というわけで、とりあえず書
き始めます。

私は、「勝手な思い 12」で、3つの(正確には4つか)の音源
を材料にVOICEについて語ると言った。しかし、9月のライブ
で手に入れたいくつかの音源が、私に混乱をもたらし、9月のライ
ブ前に書いたことの延長線上に書き継ぐことが出来にくくなったと
も言った。まずは、その混乱がどのようなものであったのか、まん
せるさんからいただいた、6月の「諏訪ライブ 1970年代を歌
う」の加奈崎芳太郎デジサポ隊の公式記録DVDに関わって話をは
じめたいと思う。

「勝手な思い」の6〜10にかけて私は、「加奈崎VOICE」に
ついて語った。それについてのまとめを10でしたが、戻って読ん
でくださいというのもなんなので、以下に再掲する。

1 「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」時代の加奈崎芳太
郎は、中低音域を、腹式呼吸でありながら咽喉を横に広げ、ぐいと
押さえ込み地声に近い声で歌っていた。そのことにより輪郭のはっ
きりした、硬質で乾いた強い中低音の声が生まれたが、それは他の
追随を許さない加奈崎芳太郎だけの特権的VOICEであった。

2 「オレンジ色のスケッチ」において、加奈崎芳太郎は、そのV
OICEをすべての音域に拡大しようとする。その結果、中低音域
ばかりではなく、トレーニングして上手くなればなるほど無個性化
するはずの高音域においてもそのVOICEは表現され、これによ
り加奈崎芳太郎のVOICEは完成し無敵となった。

3 しかし、加奈崎芳太郎はその完成されたVOICEに留まらな
かった。「ぽえじー」において洗練化がはじまったが、それを契機
に加奈崎芳太郎のVOICEはいったん解体され再構築されること
になる。

4 新曲「WORDS」を6月の諏訪ライブで聴いた私が思い出し
たのは、この「古井戸の世界」「オレンジ色のスケッチ」時代のVOICEだった。

というわけである。この「加奈崎VOICE」論を書き上げた私は
自信満々で9月の諏訪ライブに乗り込んだ。(以前は「加奈崎VO
ICE(仮称)」としていたが、もう面倒なので仮称はとってしま
う)。ところが私の論は、9月のライブで手に入れた音源によって
あっという間にあやふやなものになってしまった。その最大のもの
が、6月の諏訪ライブの音源だったのだ。

私は新曲「WORDS」を聴いて「古井戸の世界」「オレンジ色の
スケッチ」時代の加奈崎さんのVOICEを思い出したと言った。
まず、その大前提があやふやになってしまったのだ。私は「加奈崎
VOICE」の代表例として「ごろ寝」を挙げていたが、その「ご
ろ寝」を加奈崎さんは諏訪ライブで歌っていた。だから、まんせる
さんから音源をもらった私は、真っ先に「ごろ寝」を聴いた。そこ
に私の言う「加奈崎VOICE」が今も変わらずあることを確認し
、自説への自信を深めたかったからだ。ところが、求めていた「加
奈崎VOICE」はそこにはなかった。もちろんゼロではなかった
が、それは私の求める「加奈崎VOICE」とは微妙に違うものだ
った。その理由はいろいろ考えられるが、それをここでは言わない
。何をいっても言い訳じみてしまうからだ。

2012年6月9日の「ごろ寝」のVOICEは、アルバム「古井
戸の世界」の「ごろ寝」に私が強く感じた「加奈崎VOICE」と
は別物だった。しかし、転んだからといって、ただで起きあがるわ
けにはいかない。私自身がそう感じてしまったということから何か
教訓を導き出すことはできないか。もしあるとしたら、それは「加
奈崎VOICEは70年代の昔も2010年代の今も変わらずある
。しかし、加奈崎VOICEは常に同じ歌に同じように宿っている
というわけではない」ということだろう。

それは経年変化ということだけではないのかもしれない。もしかし
たら、その日の体調や気分によってさえ変わるものなのだ。実は私
には、どうしてもそういうことにしておきたい理由があった。それ
は6月9日の音源を聴いたことによって、「WORDS」のVOI
CEに関わっても困ったことになってしまったからだ。

私は「WORDS」を聴くことによって、「古井戸の世界」「オレ
ンジ色のスケッチ」時代の加奈崎さんのVOICEを思い出し、「
加奈崎VOICE」の本質に開眼した(と思っていた)。ところが
諏訪ライブでの初演の「WORDS」に、私は「加奈崎VOICE
」を色濃くを感じることが出来なかったのだ。これは大問題である
。私の論は「WORDS」での加奈崎さんの声質の印象から全てが
始まっている。そこに実は「加奈崎VOICE」はなかったなどと
いうことになったら、全てが崩れてしまう。そこで私は何としても
「加奈崎VOICEがどの歌に宿るかは、その日の体調や気分によ
ってさえ変わる」ということにしなければならなくなったのだ。

幸いにも、私がこの「加奈崎VOICE」論をはじめるきっかけと
なった「WORDS」は、8月19日のフォークフェスタでのもの
だ。たまたまiPhoneに記録した音源を何度も聴き返し私は確信を得
たのだった。だから6月9日の「WORDS」と、8月19日の「
WORDS」の違いについて私はっきり言うことが出来る。ひとこ
とで言えば、声の強さというか、声に乗せた言葉の強さというか、
歌の伝播力が全く違うのだ。もちろん6月より9月のほうが圧倒的
に強いということだが、その理由は、たぶん6月9日が初演だった
ということによるのだろうと思う。

「瓦版」最新号に加奈崎さんが、「WORDS」の次の新曲「AI
R」について書いていらっしゃるが、そこで加奈崎さんはこんなこ
とを言っている。

(引用はじめ)(9月の諏訪ライブで発表し)その後の蝦夷地ツア
ーや西国ツアーで何度か歌ったり、誰かとのコラボでも何回かやっ
てきたので俺の中でこの楽曲の方向性は少し具体的になってきてい
る(後略 引用おわり)

つまり、加奈崎さんにとっての新曲とは、初演時には出来たてほや
ほやの柔らかい状態の、言わば未完成品であり、何度か人前で歌う
うちに方向性が固まって完成するものなのだ。そう思って6月9日
の音源を聴きかえすと、加奈崎さんが、何かを確かめるように、ワ
ンフレーズワンフレーズを丁寧に歌い進めているように見える。そ
れは悪く言えば、おっかなびっくりやっているように見えないこと
もないということだ。これに対し、8月19日の演奏は全く迷いが
ない、極めて力強い演奏であった。悪く言えば、どんなもんじゃい
という感じの演奏であった。そういえば「Brain」の初演とそ
の後の演奏についても私は同じようなことを感じ、そのことについ
て加奈崎さんにお聞きしたことがあったのだった。だが、今そのこ
とをここでしゃべりだすと長くなりそうなので、今日は我慢しよう


さてここまで書いてきたことを通じて私はVOICEについてどの
ような地平に立ったと言えるのか。答えは、「振り出しにもどる」
である(その2へつづく)。

                                             
 
13の2
(その1よりのつづき)考えてみれば、加奈崎さんのVOICEを
固定的に捉えようとすること自体にそもそも無理があったのだ。私
は、1999年まで加奈崎さんの歌を録音物としてしか聞いたこと
がなかった。だから、どうしても録音物に定着されたVOICEを
絶対視してしまう傾向がある。しかし、その気になって聞けば、加
奈崎さんが録音物を再現するようなステージをしていないことを、
私たちは録音物を通じても確認することが出来たのだ。
例えば、「チャンピオンが負けた日」という歌を、私は「ラスト・
ステージ」の2枚組CDではじめて知った。それはライブ録音なの
だが、あれを聴けば、誰でも「チャンピオンが負けた日」という歌
は、加奈崎さんが激しくシャウトする歌だと認識するはずだ。とこ
ろが、その後CD化されていない「SIDE BY SIDE」と
いうアルバムを聴いてびっくりしてしまった。加奈崎さんは同じ歌
を、スタジオ録音では全くシャウトせずに歌っていたからだ。たぶ
ん録音物と並行して生の加奈崎さんを聴き続けていたコアなファン
の方にとっては、そのあたりのことは先刻ご承知のことなのだろう


ヴォーカリストとしての加奈崎芳太郎という人は、全くとんでもな
い人だと思う。私のいう「加奈崎VOICE」の完成のあと、すぐ
に加奈崎さんは自分の唱法をいったん解体し再構築する。その過程
でたぶん、加奈崎さんはあらゆる歌を自由自在に歌いこなせるよう
になったのだ。しかし、その結果として、あるジレンマを加奈崎さ
んは抱えることになったのだと思う。

これを言うと、どこからか矢が飛んで来そうだがあえて書く。私は
忌野清志郎さんのことを大好きだし、天才的なミュージシャンだと
思っているが、ヴォーカリストとして優れていると思ったことは一
度もない。いつだったか、YouTubeで、清志郎さんの歌う「
花言葉」を発見したことがあるが、正直言ってそれは聞くに堪えな
い「花言葉」だった。いかにも清志郎節ではあったが、「花言葉」
という楽曲の持つ魅力の表現としては全然ダメだと思った。何を歌
ってもその人色になるということは大きな魅力だ。しかし個性的で
あるということと、上手いということは全然別のことなのだ。清志
郎さんの歌声は、テレビから流れて来てもすぐそれと分かる。誰に
も真似のできない特権的VOICEだからだ。しかし、何を歌って
も清志郎節になってしまうということは不自由なことでもある。楽
曲によって微妙に表現を変えることが出来ないということは、歌い
手としては致命的だとも言える。たとえとしてどうかと思うが、鼻
の長い象や首の長いキリンは誰にもない特徴を持っていると言える
。そういう個性にあこがれる人がいていい。しかし象は決してキリ
ンになれないし、キリンは決して象になれない。強すぎる個性は可
能性を狭める。そういうことだ。

どうせ矢を受けるならば、ついでにもう一人例をあげよう。ヴォー
カリストとしての井上陽水はどうだろう。結論からいうと、私は大
変高く評価している。これはどっかで書いたかもしれなが、一時期
はミュージックテープを買い集めて聞きまくった(CDじゃないの
が情けないが)。陽水さんは、発声法がしっかりしているのでどん
な歌でも器用に歌いこなせる。ではそのVOICEはどうか。清志
郎さんのような誰も真似の出来ない特権的VOICEといえるか。
実は私はそうは思わない。その証拠に、陽水さんの物真似を上手に
する人は沢山いるが、清志郎さんの物真似をして似ている人に出会
ったことがない。真似ができるということは、陽水さんの特権的V
OICEと多くの人が思っているものは、実は歌い方の癖なんだろ
うと思う。発声法がしっかりしている陽水さんは、たぶんいかにも
井上陽水っぽくならないフラットな歌い方もできるのだが、あえて
それをしないのだろうと私は睨んでいる。なぜしないかと言えば、
それをすれば世間が期待する井上陽水ではなくなってしまうからだ
。その意味で、私は陽水さんという人を、その曲作りも含めて職人
だと思うようになった(もちろん名人級だが)。

それに対して我が加奈崎芳太郎はどうだろうか。加奈崎さんは常に
自分を壊しては再構築してきた。それは「古井戸=Fluid(流体)」
以来の流儀だ。このことについては、「瓦版」最新号に、これは曲
作りに関してだが、加奈崎さん自身が告白している。ちょっと長い
が引用させてもらう。

(引用はじめ)新曲をつくることは過去の自分のコピーをしない限
り、それまでの経験値や方法論を捨てゼロの単位の「風吹き荒ぶ白
い大地」に身を晒す覚悟でのぞむことだ(中略)
 これまで「酔醒」の時も「12フレット」の時も80年代ロック
化して行くときも90年代「グランド・アーム」に至っては致命的
な状況に陥った、それは俺が思うがままの破壊と創造の作業だった
のだが、その思いに賛同してくれ集まってくれた仲間たちにお返し
も出来ず、失望させてしまった(後略 引用おわり)

歌う歌が変わると、それにあわせて唱法が変わる。変えることがで
きる。それが加奈崎さんだったのだと思う。ヴォーカリストとして
の能力が身体で、洋服が歌いたい歌だとすると、たいがいの人は着
たい服があっても体のサイズが合わなかったり、似合わなくて着れ
ない。だからあきらめて自分の身体に合った服を選ぶようになる。
ところが加奈崎さんは着たい服に合わせて、自由自在に変化させる
ことのできる身体を持っていた。それは、何でもできるから器用に
変身してみせるということとは違う。白い大地に踏み出す内的必要
があり、白い大地における求めのままに唱法を、VOICEを作り
変えていったということなのだろう。

しかし、何でも自由自在に歌いこなせるということは、自分のスタ
イルがないということと紙一重だ。たったひとつの歌い方しかでき
ない歌手は悩むことがない。いつでも同じ歌い方をするしかないか
らだ。しかし、多様なVOICEを身につけた歌い手には選択の余
地がある。それは、場面ごとに自分に可能なVOICEのどれを使
うべきか選択しなければならないということでもある。それは悩ま
しいことだ。歌い手はその日の気分によってVOICEを自由に使
い分ければいいと言えるかもしれないが、聞き手がそのことで混乱
することもありうる。そう今回の私のように。これが加奈崎さんが
宿命的に背負わなければならなかったジレンマだ。

さて、これでやっと話が最初の「加奈崎VOICEは常に同じ歌に
同じように宿っているというわけではない。その日の体調によって
、気分によって歌い方が変わる。」という話に戻ってきた。

そのように千変万化する、鵺のような加奈崎さんのVOICEを問
題にすることに、いったい意味があるのか、という本質的な問いを
私はいま自分自身に問いかけている。そして、それでも意味がある
といま私は思っている。特に咽喉を壊して、自由自在に歌えなくな
った今の加奈崎さんにとっては(最後の最後でまたとんでもないこ
とを言ってしまった)。

その答えに15日までに辿り着けるかどうか、今回も火事場の馬鹿
力で頑張ってみようと思う。本日はここまで。

                                             
 14
さて、本日は、9月8日のライブ会場で買った、「愛がもしすべて
なら・・・」「風の生き方」という加奈崎さんの2枚の復刻アルバ
ムに関わって書こうと思う。

この2枚の復刻アルバムをこの日まで買わなかったのには理由があ
った。ひとつには、加奈崎さんからレコードとして買っていたから
だ。1999年に加奈崎さんに再会した私は失われた時を埋めるよ
うに当時手に入った加奈崎さんのCDのすべてを手に入れて聞き込
んだ。しかし「SIDE BY SIDE」「愛がもしすべてなら
・・・」「風の生き方」の3枚だけはCD化されていなかった。し
かしどうしてもそれを聴きたかった私は、加奈崎さんに直に頼み込
んで、加奈崎さんの手元にあったレコードを売ってもらった(いま
考えると私も怖いもの知らずというか、大胆だな)。

(補足)
<思い違いに気づいたので訂正しておきます。加奈崎さんから購入
したLPは4枚でした。「12th fret」のことを忘れてました。

「12th fret」は一発で気に入って、何度も聞き返したし、加奈崎
さんにもそう伝えたと思います。やー、人間の記憶っていい加減で
すね。>


しかし、復刻CDを買わなかった理由はそれだけではない。LPを
手に入れた私は、飛んで帰って屋根裏でほこりをかぶっていたプレ
ーヤーを持ち出して聴いた。しかし、一回針を落としたきりで、そ
れ以上聴くことはなかった。なぜかと言えば、ピンと来なかったか
らだ。私が再会した1999年の加奈崎さんは、グランド・アーム
の余韻も色濃い「爆音ライブ」の真っただ中だった。その加奈崎芳
太郎史上最も激しく重い音楽に心奪われてしまった私にとって、こ
の3枚のアルバムに記録された加奈崎さんは、はっきり言ってしま
えば、ナルくて、タルくて、ダサいとしか思えなかった。特に、2
枚のソロアルバムは、私のなかで「加奈崎さんの伏せておきたい恥
ずかしい過去」扱いとなり封印されてしまった。

だから、この2枚をCDとして復刻するという話を聞いた時も、誰
がそんなこと思いついたんだ、なんでもかんでも復刻すりゃいいっ
てもんじゃねーだろう、ぐらいの勢いで反感を持った。だから橋本
政屋の受付に並べられているのを見て購入を決めた時も、「198
0年代を歌う」というタイトルのライブが行われた記念として、今
日の日付のサインをCDにもらっておこうぐらいのノリであった。

そんなわけで、加奈崎さんからサインをいただいたあとしばらくは
、本当にこのCDのことを忘れていた。聴くことになったきっかけ
は、iPhoneに取り込んだことである。iPhoneを購入したお陰で、私
は音楽を持ち歩けるようになったのだが、最初にやったのが、古井
戸と加奈崎さんの音源のすべてを取り込むことであった。いつでも
どこでも聴きたいときに古井戸と加奈崎さんが聴ける。それは私の
ささやかな夢であり、密かな楽しみとなっていた。ある日、せっか
く買ったんだから、そのライブラリーに取り込んでおこうと思った
のだ。その時の気分から言えばバックナンバーを揃えておこうぐら
いのことだった。しかし、人間心理として、取り込めばちょっと聴
いてみるようかということになる。こうして私は、発売から33年
後、加奈崎さんからLPを購入したときからでも13年目に、「愛
がもしすべてなら・・・」「風の生き方」という2枚のアルバムに
、はじめて真正面から向き合うことになったのである。

では、いまの私がそのアルバムのことをどう思っているかというと
、惚れこんでいる、といっていい。最初のうちは自分の先入観が邪
魔をして素直に入ってこなかったものの、ある時すっと入り込んで
きてからは、聴けば聴くほどしみじみいいなあと思うようになった
。はっきり言って、どちらも名盤だ。

もしかしたら、私のダサいという印象はジャケット写真の印象だっ
たのかもしれない。ジャケット写真の加奈崎さんは確かにダサい。
しかし音楽は全くダサくない。バックの音色も音作りも、1979
年という時代を全く感じさせない。歌謡曲に傾いていないかといえ
ば、それは少しは傾いているかもしれないが、どっぷり浸かっては
いない。肝心要のところではしっかりと矜持を保っている。魂を売
り渡しちゃいねえぞ、といった感じがした(サウンドのことはよく
わからないので、このくらいにしておく)。

さて、私のテーマは加奈崎さんのVOICEなので、以下は話を加
奈崎さんの歌唱に絞ろうと思うのだが、先に結論を言ってしまうと
、これも見事としか言いようがない。というところで時間が来てし
まった。詳細は次回ということにする。この続きをiPhoneから打て
なければ、次にPCに向かえるのは来週ということになってしまう
が、さてどうなることやら(つづく)。


                                             
 
15の1
いやあ、人間の記憶なんていいかげんというか、都合よく出来てい
るというか、勝手に物語を作ってしまうものだということをあらた
めて思い知りました。ですから私の昔語りについては、みなさん眉
に唾をしながら聞いてください。

しかし、そうなると1999年時点の私は、「12th Fret
」「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」を同時に聴きなが
ら、「12th Fret」を非常に高く評価し、一方で「愛がも
しすべてなら・・・」「風の生き方」を全く評価しなかったという
ことになる。本当にそんなことがあるのだろうか? いま現在の、
この3枚のアルバムに全く優劣を感じない、というより「愛がもし
すべてなら・・・」「風の生き方」にべた惚れ状態の自分からする
と、ちょっと信じられない気さえする。しかし、たぶんそうだった
のだろう。

ちなみに「SIDE BY SIDE」についての当時の評価はど
うだったかというと、「暗いアルバムだな」という感想を持ったの
を覚えている。ただし、このアルバムは「ラスト・ステージ」のC
Dで聞き知っている曲のいくつかが入っているということもあり、
「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」のように拒否はしな
かった。

「爆音ライブ」の加奈崎さんとエレック時代の加奈崎さんを直結さ
せて、これが加奈崎芳太郎の全てだと思い込んでいた1999年当
時の私が、いかに偏見に満ちた存在であったのかが、いまになって
つくづく分かる。にもかかわらず私は全てを分かったような顔をし
て、鼻息を荒くしながら、このBBSに「加奈崎評論」を書きまく
っていた。ああ、穴があったら入りたい(て、基本的に今も同じか
)。

こんなことをしていたらちっとも先に進まない。さっさと「愛がも
しすべてなら・・・」と「風の生き方」という1979年の2つの
アルバムにおける加奈崎さんのVOICEについて書こう。先にお
断りしておくと、あまりのべた褒めさ加減に、皆さんドン引きとい
うことになるかもしれない。しかし、それがこの2つのアルバムに
対する現時点での私の評価なのだから、それをそのまま書くしかな
い。ということでお許しをいただこう。

「愛がもしすべてなら・・・」の大きな特徴は、忌野清志郎さんが
曲作りと、たぶんアルバムの制作全体にも深くかかわっているとい
うことだ。全10曲のうち清志郎さん作曲のものが2曲、加奈崎さ
んと清志郎さんの共作のものが4曲、どちらもかかわっていないも
のが3曲(西野三重子、亀井登志夫、仲井戸麗市)で、加奈崎さん
作曲のものは1曲しかない。作詞は、門谷憲二8曲、康珍化1曲、
仲井戸麗市1曲で、加奈崎さんも清志郎さんも全くかかわっていな
い(ちゃぼさんの作詞作曲の作品は「花言葉」)。

このことが意味するのは何か。それは、このアルバムがヴォーカリ
スト加奈崎のためのアルバムであり、加奈崎さんの最大の関心事が
、与えられたワーズとメロディをどう表現するかというところにあ
り、曲を作ったりサウンドを作ることにはなかったということなの
だと思う。歌うことに専念するために、曲作りやサウンドづくりの
サポートを最も信頼するミュージシャンの一人である清志郎さんに
頼んだということではないかと思うのだが、違うか?
(その2につづく) 


                                             
 
15の2
(その1よりのつづき)
最初の2曲、「女よ泣くな」と「波止場」の作曲は、加奈崎芳太郎
・忌野清志郎だ。「女よ泣くな」という曲については何とも複雑な
構造をした歌だと感心するがここではそういう問題は置いておく。
私が問題にしたいのは、あくまでも加奈崎さんのVOICEだ。こ
の2曲について私が注目したのはサビではない部分のVOICEだ
。そこには私が「加奈崎VOICE」と名付けた中低音が色濃くあ
る。いや、その洗練されたものというべきだろうか。

しかし、よく聴くとそれは低音とはとても言えない、中音だとして
もずいぶん高めに設定された音だ。実際に一緒に歌ってみるとよく
分かるが、あれこの高さからはじまったらサビのところでは大変な
ことになるぞと思わせる高さだ。ふつうの人がこれを歌おうとする
と鼻歌っぽく抜いた感じで歌わないと音が取れない。しかし耳に届
く響きは、中低音のような抑えの効いた落ち着いた、しかも極めて
上質なVOICEだ。

プロの歌は基本的に音が高く設定されている。その理由はたぶん、
ふつうの人の音が歌いやすい高さで歌うと、声が立たず伝播力が弱
くなるからではないかと思うのだが、本当のことは知らない。理由
はよくわからないが、プロが高音域を鍛え、可能な限り高い音域で
歌おうとしているのは事実だろう。そのためカラオケは最初から原
曲より低く設定されている。素人の多くは原曲の高さでは歌えない
からだ。そういうなかにあっても「女よ泣くな」「波止場」の音域
設定は高いと思う。それを加奈崎さんは楽々と、抑えの効いたいい
声で歌う。決して上擦ることのないその声は、だからまるで中低音
の声のように響く。実はこれは本当にしっかりした発声法を身につ
けた人にしか出来ない芸当なのである。

なにを偉そうに知ったようなことを言っているのだと思われそうだ
が、これは私が大学時代に謡曲を習っていたので体験的に知ってい
ることなのだ。プロの本当に名人と言われるような人の謡は、浪花
節のように咽喉を詰めて絞り出すような「だみ声」ではない。がっ
ぽり開いた咽喉を通ってくる伸びやかで心地よい声だ。同時に、そ
れは地を這うようなどっしりと重量感のある声でもある。これを何
気なく聞いていると、非常に低いところで音を作っているのだなと
勘違いしてしまう。ところが録音物にあわせて一緒に謡おうとする
と、実はそれがびっくりするほど高い音であることが分かる。合わ
せようとしてもとてもではないが抑えが効かず上擦ってしまう。そ
こで素人謡は、カラオケのように最初から音を下げて謡うことにな
る。絶対音階としての音は高いのに、響きとしては低音のように重
厚に響く。こういうのが名人の謡なのだが、「女よ泣くな」「波止
場」のサビでないところ、その中低音とはとても呼べないくらい高
いのに曲全体のなかでは音の低い部分の加奈崎さんの声に私が感じ
るのは、そういう種類の声なのだ。

このアルバムの加奈崎さんのVOIVEは私にとって驚きの連続な
のだが、その2つ目が、清志郎さん作曲の「逃げないでくれ」「か
わいい女」での加奈崎さんの歌唱力だ。この2曲を、これは清志郎
さんの作曲ですよと知って聴くと、ああ確かにと感心するほど清志
郎さんテイストの強い曲だが、そういう意識なしに聴くと、ちょっ
と風変わりな曲だが、ああ加奈崎さんの歌だなあと聞こえる。私は
、それをとんでもなく凄いことだと思う。

極めて癖の強い清志郎ワールドを、なぜ加奈崎さんはくるりと加奈
崎ワールドに転換させることが出来るのか。それを可能にしている
のは間違いなく加奈崎さんの歌唱力だ。清志郎さんが曲をテープで
加奈崎さんに渡したか、口立てで伝えたか知らないが、加奈崎さん
は清志郎さんの声で曲を伝えられたに違いない(二人が楽譜で曲を
やりとりしている姿は想像できない)。微妙に音程がずれる(まあ
、チャボさんほどではないが)清志郎さんの声で受け取ったものが
、加奈崎さんの耳から脳に伝わり、電気信号として体を巡り、咽喉
から発せられる時、それは極めて正確な音程で表現される。それは
ほれぼれするような正確さだが、正確なのは音程だけではない。歌
としての表現もまた、正しい発声法から生み出される、端正な声の
響きとして表現される。

それは、与えられたワーズとメロディが自ずから要求するとおりの
、まさにジャストの唱法と音色だ。むかし「何も足さない。何も引
かない」という洋酒のCMがあったが、まさにそういう感じだ。飛
び道具を使ったり、力技を使ってねじ伏せるようなことは一切しな
い。そういう「けれん」なしに、全うな表現だけで歌いきる。その
ことによって、強烈な清志郎さんの匂いを消し去り、もともとそう
であったように加奈崎さんの匂いにしてしまう。この2曲で加奈崎
さんがしているのはそういうことなのだ。そして、そういうことを
さらりと出来てしまう加奈崎さんて本当に凄いと思ってしまう。


次は「王様たちの夜」と「ムーンライトシネマハウス」だが、どち
らにも清志郎さんは関わっていない。この2曲で加奈崎さんは、清
志郎さんの曲や清志郎さんとの共作の曲と全く違う表現を見せる。
「王様たちの夜」では声と息のバランスが絶妙だ。「ムーンライト
シネマハウス」は、さらっとしてべたつかない声質が素晴らしい。
言葉の混んでいる曲を響きの強い声で歌うともたついた感じになっ
てしまうが、そういうことにならない絶妙なところで歌っているよ
うだ。「詫び」とか「寂び」を経て芭蕉が辿り着いた最後の境地は
「軽み」だというが、私は勝手にそんなことまで思ってしまう。さ
っき言ったことと全く同じことを言うが、「与えられたワーズとメ
ロディが自ずから要求する唱法と音色」に従った結果がこの表現だ
ったのだろう。そして、それはこれしかないのだろうと聴く人を納
得させる表現だ。

次は、「明日のジョーになれなくても」だ。これはこのアルバム唯
一の加奈崎さん作曲の歌だが、ここで一言苦言を呈しておこうと思
う。このアルバムのなかで唯一感心しないのがこの曲だ。全く工夫
が感じられない、いつもの加奈崎さんの歌い方だ。それは自分の曲
だからか、流れのままに勢いで歌ってしまっているのではないか。
これは、「古井戸の世界」の「加奈崎VOICE」について語った
時に言ったことだが、「古井戸の世界」で「加奈崎VOICE」を
色濃く感じるのは例外なくちゃぼさんの曲であって、加奈崎さんの
曲からはあまりそれが感じられなかった。ちゃぼさんの曲も含めて
人から提供された楽曲については真正面から襟を正して向き合いワ
ーズとメロディが自ずから要求する唱法を音色を真摯に探し求める
が、自分が作った自分の歌についてはあまり深く考えずに歌ってし
まう。そういうことが加奈崎さんにはあるのではないか(いや、あ
った、というべきか)。

さて残すは3曲だが、清志郎さんとの共作である「さよならマルガ
リータ」「愛がもしすべてなら」については、すでに述べたこと以
上のことはなにもないのでパスする。あ、そうだ、「さよならマル
ガリータ」を聴きながら、なぜか井上陽水さんがこの曲を受け取っ
たらどう歌うのかな、などということを思っってしまったというこ
とを、そのことにどんな意味があるのか分からないままに、とりあ
えずここに書き留めておこう。

では最後まで取っておいた「花言葉」について語る。このアルバム
の「花言葉」を聴いたときの衝撃は、驚きの連続だったこのアルバ
ムの驚きの間違いなく頂点だ。私はこの演奏を聴いて、真っ白な大
理石の裸婦像を思った。それはギリシャ彫刻のような端正だがどこ
か筋張った美ではなく、ロダンの作品の、表面をテカテカに磨き立
ててはいない、柔らかな肌触りの、生まれたてのような真っ白な大
理石のそれだ。私は何を言おうとしているかというと、ある種の完
璧な美がここにあると言おうとしているのだ。伏線のように清志郎
さんの歌う「花言葉」のことを言ったが、この「花言葉」のように
歌うことは清志郎さんには絶対にできない。「花言葉」という楽曲
は、古井戸の最初期の、ヴォーカリスト加奈崎芳太郎の原点とも言
える楽曲だ。その当時の「花言葉」が悪いとは言わない。それはそ
れでいい。しかし、10年経って、いろいろな変遷があって、つい
にヴォーカリスト加奈崎芳太郎は、こんなところまでやってきたの
か。

大理石の彫像を眺めるように、日がな一日、このVOICEの前に
佇んでいたい。私はそんな感慨をもって、この「花言葉」を繰り返
し聴くのである。


                                             
 
16
前回は、1stソロアルバム「愛がもしすべてなら・・・」につい
ての感想を述べた。したがって今日は、2stソロアルバム「風の
生き方」についてということになる。

先に総論的なことを言ってしまえば、このアルバムにちゃんと向き
合えるようになったばかりの頃(つい最近のことだが)の、きわめ
て素朴な感想は、「まるで日本語歌唱法の教則本のようだ」という
ものだった。もっと正確にいえば、ここにあるのは理論ではないか
ら、「教則本付録の男性ヴォーカル実践編」ということになるか。

これはふざけて言っているのではない。日本語は、しゃべる時の声
の作り方と歌う時の声の作り方が違う。言語によってはその声の作
り方にあまり差のない「歌うように語る言葉」というものもあるよ
うに思うが、日本語はそういう言葉ではない(と勝手に思っている
)。試しに深い腹式呼吸でしゃべってみればいい。朗読だって、演
説だって、そんなしゃべり方をする人はいない。日本語に聞こえな
いからだ。そういう日本語を歌おうとしたとき、それが日本語とし
て違和感のない音色となるためには、正しい日本語の歌声への転換
法、正しい旋律への乗せ方といったものがあるはずだ(オペラなど
の西洋音楽の発声法をそのまま持ってきたのではダメなのだという
ことについては以前述べた)。そのような正しい日本語歌唱法の見
本がここにある。それはポップスの歌唱だけのことではない。声楽
からポップスまで、あらゆる西洋由来の歌のジャンルにおいて、い
やしくも日本語を旋律に乗せようと思うほどの人は、すべからく、
このアルバムの加奈崎さんの歌唱を聴いて勉強すべきだ。私は本気
でそう思った。だから教則本という言い方をしたのだ。

ただし、ひとつだけ断っておかなければならないことがある。それ
は、そういう「完璧な歌唱」の範囲を「中低音」に限定しておかな
ければならないということである。なぜかというと、このアルバム
の加奈崎さんは高音部の声が枯れているからだ。同じような声の枯
れ方を「ラスト・ステージ」でもしているので、もしかしたら19
79年下半期の加奈崎さんは高音部の声にトラブルを抱えていたの
かもしれない。ただし、それは全体が極めて高い音域設定なのにフ
ァルセットを全く使わずに歌っているから聞こえてしまう枯れ声で
あり、ほんの少し低めに音域を設定してさえいれば、その枯れが表
面化することはなかったと思うのだが、そういう声が録音されてい
る以上、それを無かったことにするわけにはいかない。そこで「完
璧な歌唱」については中低音に限定しておきたい。私自身の基準で
いえば、全く問題ないと思うのだが(特に「陽炎」については歌が
求めた表現だと思う)、「すべての音域において完璧」だと言い張
って、高音部の枯れを持ち出されて文句を言われるのも嫌なので、
そういうことにしておく。ついでに言っておくと、高音部に特に問
題のない「愛がもしすべてなら・・・」においても、私の関心事は
ひたすら「中低音」であった。「中低音」に着目すればするほど、
「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」という2枚のアルバ
ムに対する私の評価は高まる一方である。

アルバム冒頭の2曲「まっすぐ行ったところにある春」「もう一度
生まれ変わっても」の作曲は鈴木キサブローだ。私はこの人をよく
知らない。知らないから「めくら蛇におじず」で勝手なことを言う
が、どちらもたいした曲ではない。ところが、そのたいしたことも
ない曲がすごくいい曲に聴こえる。それは言うまでもなく加奈崎さ
んの歌唱が素晴らしいからだ。この2曲を聴き込むうちに私が到達
した結論は「この2曲にはサビはいらない」というものだった。加
奈崎さんはたいしたメロディでもない、曲はじまりからサビに至る
までの部分(何ていうのか知らないのでこれを「サビ前」と呼ぶこ
とにする)を、洗練された「加奈崎VOICE」を駆使して歌い上
げる。その見事さといったらない。

楽曲のなかには、キャッチーなサビのメロディだけが聞かせどころ
で、サビ前がおざなりなやっつけ仕事のものがある(最近の粗製乱
造の楽曲は多くがそうだが)。そういう楽曲ばかりを聴いていると
、サビ前の全てを聞き流し、サビが来たら集中して聴き(あるいは
熱唱し)、次にサビが来るまでは休憩時間ということになる(ここ
は、そのことをいう場面ではないが、歌をこういうものとして聞い
ている人にとっては、サビ以外の部分はどんな言葉が並んでいよう
がお構いなし、何の価値もないということになる。だからよくある
耳触りのいい言葉が順列組合せのように並べられることになる。そ
うなると、そこに特別のメッセージを込めてみても誰も聞いちゃあ
いない、何の意味もないということになる)。

そういう最近の歌を巡る状況を踏まえつつ「まっすぐ行ったところ
にある春」「もう一度生まれ変わっても」を聴くと、加奈崎さんの
歌唱がいかに素晴らしいものであるかがよく分かる。さっきも言っ
たように、どちらもたいした曲ではない(これもここで言うことで
はないが、その真逆が「女よ泣くな」だ。この楽曲は惜しげもなく
次々と新しいメロディを投入していて、この曲を解体すれば普通の
曲が3曲くらいは楽にできるんじゃないかと思ってしまう。そのこ
とを私は「何とも複雑な構造をした歌だ」と言ったのだった。いか
ん今日は話がやたらそれていく。元にもどそう)。

私は「まっすぐ行ったところにある春」「もう一度生まれ変わって
も」の、そのたいしたこともないサビ前のメロディに釘づけにされ
てしまう。メロディだけではないワーズもそうかもしれない。iPho
neで聞いているため歌詞カードが手元にないのでいけないのだが、
門谷憲二さんの歌詞もたいしたことを言っているようには思えない
。それでもこのサビ前に釘付けになり聴き入ってしまう。メロディ
でもないワーズでもないとしたら、私はいったい何を聴いているの
か。そう、VOICEだ。私はまさに加奈崎さんのVOICEを聴
いているのだ。

それは、先に述べた「日本語の正しい歌声への転換、正しい旋律へ
の乗せ方」ということだけでは足りない。単純に「声がいい」とい
うのとも違う。音の響きそのものの心地よさ、生理的な快感を呼ぶ
波長、そういう何か、「歌の素」がそこにはある。

むかし、NHKで、モンゴルのホーミーという歌唱法を取り上げ、
そこにユーミンを絡め、音響学的にユーミンの声にはホーミー成分
があることが証明されたとし、ユーミンのヒットの秘密を発見した
と結論づけた番組があった。ハイライトは、自分の声に密かにコン
プレックスを抱いていたユーミンが、その分析結果を聞いて涙を流
す場面であった。しかし私はその番組に納得がいかなかった。少な
くともTVを通じて聞くホーミーから私は何も感じなかったからだ
。生理的快感がそこにあるとは思えなかったからだ。

なぜこの話をしたのかというと、最初は臭いけれど慣れると美味し
いクサヤの干物じゃないんだから、ホーミーを持ち出さなければ説
明できないような、それでも分かったか分からないような話じゃダ
メなのだ。声とは理性や論理的思考で受け取るものではなく、生理
的な感覚として、直接的な刺激として受け取るものだからだ。これ
を言うと後で墓穴を掘ることになるかもしれないが、この時代の加
奈崎さんのVOICEは、回りくどい説明を必要としない、聴きさ
えすれば誰もが納得する「特別なVOICE」だったのだ。つまり
、誰もが羨む「王道を行くVOICE」「正統派のVOICE」の
持ち主として、この時代の加奈崎さんは君臨していたのだ。

こうなると最早、何が歌われているかなどということはどうでもい
いことになっていく。我々は人間の声の生み出す美そのものを聴け
ばいいのだ。それを快感として受け取ればいいのだ。それは、確か
にVOICEのひとつの完成形だ。しかし、言葉をともなう歌とい
うもののありかたとして、それが正しいことなのかどうかとなると
、私は分からなくなってしまうのである。

「風の生き方」については、まだ言いたいことがあるが、それは次
回にします(つづく)。


                                             
 
17
「風の生き方」のVOICEについて、どうしても言っておきたい
ことがもうひとつある。それは、「陽炎」「窓からは五月」「向こ
う岸から」の唱法についてだ。3曲ともサビでは声を張る。もちろ
ん全く同じということではないが、声を張る部分は基本的に正しい
発声法で歌うしかないので似たような声質になる。そして今の私は
、その部分の唱法の良し悪しには興味がないので、その部分につい
ては何も言わない。

問題は、その声を張る部分に至るまでの部分、私のいう「サビ前」
の唱法である。サビ前の唱法は、サビの唱法のような発声法的な制
約が小さいので、「ワーズとメロディが自ずから要求する唱法と音
色」を自由に選び取り歌うことが出来る。だからその表現は多彩だ
。前回2曲まとめて語った「まっすぐ行ったところにある春」「も
う一度生まれ変わっても」のサビ前の唱法も同じではない。だとす
れば、「サビ前の唱法は多彩だ」ということで、それ以上論ずる必
要はないのだろうか。私はそうは思わない。「陽炎」「窓からは五
月」「向こう岸から」の唱法は、「まっすぐ行ったところにある春
」「もう一度生まれ変わっても」の唱法と別枠で論じるべき特別な
ものだと私は思う。では、その違いとは何か

ここでちょっと復習を。私は加奈崎さんのVOICEの本質につい
て「腹式呼吸でありながら咽喉を横に広げ、ぐいと押さえ込み地声
に近い声で歌うことにより生み出された、輪郭のはっきりした硬質
で乾いた強い中低音」であるとし、それを「加奈崎芳VOICE」
と名付けた。そのVOICEは完成と同時に解体され再構築される
が、基本的には洗練化に向かう。この「ぽえじー」から「風の生き
方」に至る変遷については、まだ1行も書いていないので、ここで
は深入りしない。いや深入りできない。したらきっと墓穴を掘るだ
ろうから。

ただ、「この洗練化の過程においても加奈崎さんのVOICEの本
質は変わらなかった」ということは言ってもいいだろう。その本質
とは何か。それは「輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音」
である。この、時代を超えて貫かれている(と、いま私が勝手に言
った)本質を通して眺め返したとき、「まっすぐ行ったところにあ
る春」「もう一度生まれ変わっても」はどういう位置を占め、「陽
炎」「窓からは五月」「向こう岸から」はどういう位置を占めてい
ると言えるだろうか。

「まっすぐ行ったところにある春」「もう一度生まれ変わっても」
は、まさに「輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音」そのも
のである。私のいう「加奈崎VOICE」そのものではないにして
も、その延長線上、その洗練された歌唱として、しっかりその系譜
のなかに位置を占めている。そういう観点で見たとき、「風の生き
方」も「港のふたり」も「オールドフレンド&ギター」も「Mr.
ベースマン」も、楽曲ごとそれぞれに色彩の違いはあるものの、「
輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音」かどうかと言えば、
間違いなくそうであると言える。

では、「陽炎」「窓からは五月」「向こう岸から」は違うのかとい
うことだが、違うというのが私の意見だ。どう違うのかと言えば、
「輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音」ではないと言いた
いのだから、「輪郭のはっきりしない」「やわらかく」「湿った」
「弱い」中低音だということになる。

本当にそうか。典型的なのが「窓からは5月」だ。例えば、歌いは
じめの「君の機嫌がいいのは」の声の柔らかさはどうだ。だが、そ
の柔らかさがベターっと続くわけではない。「こんな陽気のせいな
のかい」の「せいなのかい」の「せい」と次の「尋ねれば君は」の
「尋ねれば」はやや声を張り、音の輪郭もはっきりするが、「なの
かい」と「君は」は、スッと柔らかな音質に戻り、「振り向いて頷
き/洗濯物が/よく乾くからよって」では「頷き」はやや声が立つ
が、それ以外の部分ではここちよい柔らかさがキープされる。

さっき勢いで「乾いた」との対比で「湿った」と言ったが、それは
ないかもしれない。この声の柔らかさは、洗濯物の連想から言えば
、ハミングがよく効いた、陽の光をたっぷり吸いこんだバスタオル
の柔らかさだ。乾いていながら硬くない。ふわふわで、顔を埋める
と何ともいえず心地いい。そういう柔らかさだ。

「陽炎」はどうか。「二人乗りのバスを/降りる気になったのは/
いつ頃だったでしょう」の力の抜け具合はどうだろう。特に「バス
を」「なったのは」「だったでしょう」の「バ」「な」「だ」は、
「窓からは五月」の感じから言えば声を張ってもよさそうなところ
なのだが、逆にスッと抜いている。この絶妙な加減はなんだろう。
「思えばずいぶん/遠くまで来て/君も少しは歳を取ったんですね
」はさすがに張る声が混じるが、「振り向けばよく見える/あの日
の君と僕が/あんなに鮮やかに息づいて/歌たちに囲まれて」では
、張る直前でこらえ息を逃がしている。

「向こう岸から」では、当然声を張るべきところで声を張りかけて
張らない。「歌う夢破れて」の「破」、「ふるさとに帰ってゆく」
の「帰」、「お前に贈る」の「お前」、「言葉は見当たらない」の
「言葉」がそうだ。唯一張り気味なのは「帰ってゆく」の「ゆ」ぐ
らいだ。この声と息の出し入れの見事さ、凄さを言い表す言葉を私
は持たない。だから「絶妙な加減」などという陳腐な言い回しをし
ているのだ。

この凄さは実際に聴いてもらうしかない。ただし3曲ともサビの部
分ではしっかり声を張っているので、その部分に気を取られててし
まうと、このサビ前、というより歌い出しの部分の見事さ、凄さを
聴き逃してしまうかもしれない。だから聴く際には、ぜひ前奏終わ
りの最初のVOICEに全神経を集中していただきたい。

こういう話をしていると、どうしても触れたくなるのが「雪便り」
だ。この歌もまた、「輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音
」の対極にある加奈崎さんのVOICEだ。1978年発売の「S
IDE BY SIDE」収録のこの楽曲がいつ作られたのか私は
知らない。しかしアルバムのための録音は1978年なのだろう。
とすると、1978年から1979年にかけて、この種のVOIC
Eが完成したということではないかと思う。

こういうと、穏やかな楽曲は古井戸時代からいくらでもあり、別に
ここで突然こういうVOICEが出てきたわけではないと言われそ
うだ。そういわれるに違いないと思った私は、いま大急ぎで「古井
戸の世界」以来のバラード系の楽曲のサビ前というか冒頭部分を聴
き直してみた。その結果いま思っているのは、ここで問題にしてい
る78〜79年VOICEと、それ以前のバラードのVOICEは
、やはり何かが違うということである。これはあまりにも感覚的な
ことで、ほとんど直観みたいなものなので、またすぐに引込めなけ
ればいけなくなることかもしれないが、せっかく思いついてしまっ
たことを引っ込めてしまうのも勿体ないので、一応言っておく。私
は、かつての歌唱法は、繊細ではあっても、柔らかくはなかったし
、弱くはなかったと思うのである。数ある穏やかな曲の中には輪郭
をぼやかした唱法も当然あるが、それでも芯がある気がするのだ。
ぼんやり、ふわふわしていても、その底に鋼のような芯、細い針金
のような硬質の芯の存在を感じるのだ。少なくとも私にはそう聴こ
える。

ところが、そういう芯が、「雪便り」「陽炎」「窓からは五月」「
向こう岸から」のサビ前(あるいは歌い出し)の部分にはない気が
するのだ。芯が消え、全体がぼんやりと柔らかく、そして弱い気が
するのだ。私はこの「弱い」という部分がポイントのような気がし
ている。


柔らかくても、輪郭がぼやけていても、芯が感じられるということ
は、弱くはないということだ。そして、それは加奈崎さん自身の生
き方そのものだと思うのだ。繊細で優しさに満ちたハートの持ち主
でありながら、いやそれゆえに、男(マッチョ)であることにこだ
わり、絶対に弱さを見せまいと強がり、粋がる。武士は食わねど高
楊枝ではないが、常にどこか体の奥深いところが緊張している。だ
から、その歌においても、決して全体がとろけ出すことなく、何か
が溶けきれないまま残り緊張している。それが加奈崎さんだ。少な
くとも私にとってはそうだ。その気位の高さというか、やせ我慢と
いうか、とにかくそういう生き方と、その人格の表現としての歌が
、加奈崎さんのストロングポイントであり、ウイークポイントなの
だと、私は思っていた。

その何かが、「雪便り」「陽炎」「窓からは五月」「向こう岸から
」では溶けている。それを私は「弱さ」の表現として受け止めた。
もちろん、それは声が小さいとか、発声法がどうだとかいった物理
的な問題ではない。精神的な問題だ。これまで意識的にか無意識的
にか分からないが、決して表現されることのなかった「弱さ」がこ
こに表現されている。なぜか、それを加奈崎さんは自らに許した。
そう感じたのだ。

歌唱法の話をしているつもりが、何かとんでもないところに踏み込
んでしまったような気がする。これでは、予定していた本日の結論
を持って来て終わるわけにはいかない。というわけで、尻切れトン
ボのまま本日は閉じることにする。ちょっと時間をもらって、この
結末をつける方法について考えようと思う。


                                             
 
18の前説
> 歌唱法の話をしているつもりが、何かとんでもないところに踏み
込んでしまったような気がする。これでは、予定していた本日の結
論を持って来て終わるわけにはいかない。というわけで、尻切れト
ンボのまま本日は閉じることにする。ちょっと時間をもらって、こ
の結末をつける方法について考えようと思う。

17を、こんな形で終わった。しかし、よく考えたら本日は13日
(木)ではないか。本番まで中1日しかない。明日はとても書けな
いだろうし、本日中に書き上げるしかないではないか。ちょっと時
間をもらって、この結末をつける方法について考えている暇なんて
なかったのだ。ということに今朝起きて気がついた。

しかし本日の日中は出張である。いつものように仕事をしているふ
りをして書くわけにもいかない。というわけで、今朝のうちに書け
ることだけ書いておこうと思う。

思わず加奈崎さんの内心に踏み込んでしまって筆が止まってしまっ
たが、その問題はとりあえず棚上げにする。いつか拙文を書き継い
でいるうちに、そのことに触れることになるだろう。いまは、あの
ことは、その時に向けての伏線ですということにしておこう。

では話を元に戻す。話をもとに戻すきっかけとして「愛がもしすべ
てなら・・・」「風の生き方」を取り上げ、それを高く評価する果
てにこういうことを言おうとメモしておいたことをそのままここに
書く。

「弱さ」を表現のひとつとして手に入れたとき、ヴォーカリスト加
奈崎芳太郎に欠けているものは何もなくなった。完全無欠の存在と
なった。

しかし、それでも加奈崎さんは売れなかった。なぜ売れなかったの
か私には理解できないが、とにかくなぜか売れなかった。そこから
加奈崎さんの不幸がはじまる。

そして、そのヴォーカリストとしての完成を、古い服を脱ぎ棄てる
ように加奈崎さんはあっさりと捨ててしまう。

アルバムで言うと「12th Fret」は「SIDE BY S
IDE」「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」と続く流れ
の延長線上にあると言えるが、「Kiss of Life」と「
12th Fret」の間には大きな断絶がある。

「Kiss of Life」と「12th Fret」の間の断
絶をもたらしたのは、間違いなくK2ユニットとしての活動だ。

K2ユニットの本質は、Beatを極めることだ。これは加奈崎さ
ん自身が9月の諏訪ライブのMCで言っていたことだ。

だとしたら、K2ユニット以降、90年代最晩期の「グランド・ア
ーム」に至る時代におけるVOICEとは何か。それは私のいう「
加奈崎VOICE」と言っていいのだろうか?

いま、メモ用紙から言葉を整えながら書き写してみて、これは17
のまとめというより、18で書こうとしたことのほぼ全てだと気付
いた。それを今日の夕方から書き始めて、書き上げることが出来る
かどうか。気力は充実しているのだが、あとは時間との戦いになっ
てしまった。


                                             
 
18の1
「弱さ」を表現のひとつとして手に入れたとき、ヴォーカリスト加
奈崎芳太郎に欠けているものは何もなくなり完全無欠の存在となっ
た。私が「加奈崎VOIVE」と呼んで来たものの本質は、何度も
言うが「輪郭のはっきりした硬質で乾いた強い中低音」であった。
ポイントは「強さ」である。たとえ輪郭がぼんやりしていても、ふ
わふわした表現であっても、その底に鋼のような芯の存在を感じら
れることが「強さ」であり「加奈崎VOICE」だった。その加奈
崎さんが、全てがぼんやりと柔らかく、そして「弱い」表現をも手
に入れた。それを技術的な問題でなく、加奈崎さんの心の有りよう
の変化ではないかと言ってしまったので変なことになった。だから
、ここでは、とりあえず技術的問題だということにしておく。

ただし、この考えは早くも風前の灯状態になっている。17を書い
たあと「陽炎」の歌唱が他にも公式録音物として残されていること
を思い出した。書いているときは「風の生き方」に没入するあまり
、そのことをすっぽり忘れていたのだ。別バージョンの録音は2つ
ある。ひとつは「ラスト・ステージ」収録のライブバージョン、も
うひとつは「さらば東京」収録のバージョンだ。さっそく聴いてみ
た。そして案の定思いっきり裏切られた。

「ラスト・ステージ」の演奏は「風の生き方」と同じ年の演奏であ
る。しかし表現の勘所が全く違っていた。「ラスト・ステージ」バ
ージョンでは、私が「風の生き方」での唱法について、「この力の
抜け具合はどうだろう」と言った「二人乗りのバスを/降りる気に
なったのは」の「二人乗りのバスを/降りる」までを、ポーンと投
げ出すように張った声で歌いはじめる。そして、「気になったのは
」で突然声を潜め、そのまま「いつ頃だったでしょう」につなげる
。さらに「風の生き方」では「さすがに張る声が混じる」と言った
「思えばずいぶん/遠くまで来て/君も少しは歳を取ったんですね
」をずっと声を潜めて歌い、その後もその歌い方を続け、「風の生
き方」では張った声に転ずる「さよならといえば/さよならのため
に」以降も、基本的に細い声で歌う。では、それは「風の生き方」
の唱法に私が感じた「弱い」VOICEかというと、そうではない
。細いけれど芯のある「強い」VOICEであるように私には聞こ
える。加奈崎さんは、「弱さ」の表現として私が高く評価した唱法
について何のこだわりもないかのように、同じ年のうちに全く違う
表現で「陽炎」を歌っているのである。

「さらば東京」はもう何といったらいいか比較のしようもない。「
二人乗りのバスを」はオクターブ下のつぶやきからはじまる。オク
ターブ下での、つぶやきと歌の往復が、本来の音程にもどるのは「
振り向けばよく見える/あの日の君と僕が」からだが、それでもま
だささやきめいていて、どこに連れて行かれるのか不安な気持ちに
させられたままだ。しっかりした声で歌われるのは、やっと「あん
なに鮮やかに息づいて/歌たちに囲まれて」からだ。「さらば東京
」は1999年のアルバムだから、「風の生き方」からちょうど2
0年後の歌唱だ。だから違って当然だといえばそれまでだが、ここ
には私の感激した「弱さ」の表現は痕跡もない。

13で、「加奈崎VOICEが、どの歌に宿るかは、経年変化だけ
ではなく、その日の体調や気分によってさえ変わるのではないか」
とし、そのことを「鵺のようなVOICE」と言ったが、ここでも
私はその問題に直面することになってしまった。それが、どの唱法
がオリジナルだとか、どっちが優れているといった問題ではないこ
とは重々承知している。しかし、何かをつかんだと思っても、それ
こそ陽炎のようにするりと手のうちから逃げていく。辿り着いたと
思った瞬間に、そこはゴールではないよと言われる。そういう掴み
どころのなさ、移ろいやすさに、何を拠り所にどう向き合えばいい
のか。

ここでは、こんなことまで言うつもりではなかった。いま確認をし
ておきたいのは、たとえ一瞬のことであり、その後惜しげもなく捨
ててしまったものだとしても、加奈崎さんは「弱さ」の表現を手に
入れ、強さも弱さも自由自在に表現できる完全無欠のヴォーカリス
トとなったということである。私はその完成の時期を「SIDE 
BY SIDE」から「12th Fret」までの間のどこかだ
ろうと思うが、いまはこの問題にはこれ以上踏み込まない。こうい
うと、では「酔醒」はどうなんだという話になってややこしくなる
からだ。「加奈崎芳太郎VOICE通史」は、まだまだ先の宿題と
して取っておこうと思う。

完全無欠のヴォーカリストとして誰もが羨む存在となった。しかし
、それでも加奈崎さんは売れなかった。古井戸をブレイクさせた楽
曲は「さなえちゃん」だ。それは言い換えれば、ちゃぼさんがブレ
イクしたということだ。ただ、その結果として古井戸というグルー
プが広く認知され、加奈崎さんの歌唱を多くの人が耳にするように
なった。しかし加奈崎さんの歌った「ポスターカラー」も「ちどり
足」もブレイクはしなかった。

いつも古井戸と比較してしまうのだが、チューリップは「心の旅」
でブレイクした。その歌が、財津和夫ヴォーカルではなく姫野達也
ヴォーカルだったため、しばらくは姫野がメインボーカルの楽曲が
続いた。しかし、やがて多くの人がこのグループの中心が財津さん
であることを理解し、いつの間にか姫野さんは後ろに下がっていっ
た。そして誰もがミュージシャンとしての財津和夫を認めた。

しかし、古井戸において加奈崎芳太郎がヴォーカリストとして正当
に評価されブレイクすることはなかった。また昔語りをしてしまう
が、私が東京に出て浪人生活をしていた1975年、受験勉強に専
念するためにといってギターもステレオも実家に残し、したがって
古井戸を聴くこともなくなった生活の中で、ラジオ(当時はまだラ
ジカセというものもなかった。少なくとも私は持っていなかった)
から流れてくる「ステーションホテル」を聴いた私は、「あぁ、こ
うして古井戸も売れていくんだな。」と思った。そう思ったら涙が
流れて止まらなかった。私は、その時、「ステーションホテル」と
いう楽曲が、ガロにとっての「学生街の喫茶店」、チューリップに
とっての「心の旅」になると確信した。これは俺の中の古井戸とは
違うかもしれないが、売れる曲だ。そして売れることは悪いことじ
ゃない。よかったな古井戸。それは自分の愛したものが多くの人に
認められ陽の当たる場所に出ていくことの嬉しさと、しかし、その
ことによって自分の知らない遠い世界に行ってしまうことのさびし
さがないまぜになった涙だったのだと思う。

これで古井戸がブレイクしていれば、いい話やなぁで終わるのだが
、私の予想に反して、「ステーションホテル」は全く売れなかった
し、古井戸もチューリップやガロのようにブレイクすることはなか
った。それを最後に、私にとっての古井戸は青春時代の思い出にな
ってしまう。1999年に加奈崎さんに再会してから、空白を埋め
ようと「酔醒」以降の加奈崎さんの音楽的軌跡を辿ってみると、何
でここでブレイクしなかったのだろうと思うような素晴らしい楽曲
が目白押しであることにびっくりしてしまった。

ブレイクしないまでも、じわじわと実力が認知され、音楽業界の中
で確固たる地位を占めるということがあってもよかったと思うのだ
が、そういうことも起きなかった。こんなこと言うとまた怒られそ
うだが、チケット入手困難な知る人ぞ知るジャズヴォーカリストと
して綾戸智恵の名前が口コミで広がり、それをマスコミが取り上げ
ブレイクしたというのなら、なぜ加奈崎芳太郎には同じことが起き
なかったのか。綾戸ファンの方には申し訳ないが、彼女の歌に何も
感じない私には、なぜ彼女にスポットライトが当たって加奈崎さん
には当たらないのか全く理解できない。

しかも、「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」の2枚のア
ルバムにおける加奈崎さんのVOICEは、回りくどい話を必要と
しない、聴きさえすれば誰もが理解できるVOICE、王道を行く
正統派のVOICEだったのだ。それなのになぜという思いはいつ
までたっても消えない。それは「Kiss of Life」をは
じめて聴いた時にも感じたし、「冬の夜の深さについて」をはじめ
て聴いた時にも感じたことだ。どうしてこの曲で、このアルバムで
ブレイクしなかったのか。加奈崎芳太郎が売れると世界が終るとい
う呪いでもかかっているのか。本気でそんなことまで考えた。

私は悔しくてたまらないのだ。だが、これ以上語るとどんどん暗く
なってしまうので、この話はもう切り上げよう。ただ、もしかした
ら、さっき言いかけてやめた、「何かをつかんだと思っても、それ
こそ陽炎のようにするりと手のうちから逃げていく。辿り着いたと
思った瞬間に、そこはゴールではないよと言われる。そういう掴み
どころのなさ、移ろいやすさに、何を拠り所にどう向き合えばいい
のか。」という加奈崎さんの在り方に、この問題はつながっている
のかもしれない。何かそんな気がしてきた。もしかしたら、別の機
会にこの問題に立ち返るかもしれないが、今日のところは、切り上
げるといったので、ここではもうこれ以上深めない。(その2へつ
づく)


                                             
 
18の2
(その1よりのつづき)
さて、理由はともかく、事実としてとにかく加奈崎さんは売れなか
った。「愛がもしすべてなら・・・」でも、「風の生き方」でも、
「12th Fret」でも売れなかった。そこから加奈崎さんの
不幸がはじまる。加奈崎さんは、その結果として、ヴォーカリスト
としての完成形をも、古い服を脱ぎ棄てるようにあっさりと捨て、
次のステージへと進んでいくことになる。

加奈崎さんにとっての次のステージとは、生田敬太郎さんとのK2
ユニットだ。なぜK2ユニットに行ったのか、このことについて9
月の諏訪ライブのMCで加奈崎さんは意味深なことを言った。

古井戸を解散して、自分に一番何が欠けているだろうと考えた。一
番のダチ公でありライバルであるRCや清志郎のことを考えると、
俺にはBeatがないと気づいて、8Beatってなんだろう、1
6Beatってなんだろって、当時出はじめた自由に打ち込みが出
来るリズムマシーンにどっぷり漬かって、ひとりで多重録音して楽
曲を作っていた。しかし自分はベースギターやリードギターが弾け
ないので、暇こいていた生田敬太郎に声をかけて、ベースやリード
を弾いてもらってデモテープを作った。そのうちライブでやろうと
いうことになって・・・(以下略)

この話のなかで私が一番引っ掛かりを覚えたのは、Beatが足り
ないということに気づいたというところではない。そのきっかけが
RCのブレイクだったということだ。80年代の頭に完全無欠のヴ
ォーカリストとなっていた加奈崎さんは、しかし売れなかった。そ
れが多少歌謡曲寄りの世界だろうと、そこで売れていれば加奈崎さ
んはたぶんそこにとどまったのではないか。しかし売れなかった加
奈崎さんは、ブレイクしたRCサクセションを見て、そうか俺に足
りないのはBeatだと考えたのだ。

このときもし売れていたら、加奈崎さんは、よしBeatを追求し
よう思っただろうか。あるいは加奈崎さんがもっと不器用なヴォー
カリストだったらどうだろう。13の2で私は次のようなことを言
った。

歌う歌が変わると、それにあわせて唱法が変わる。変えることがで
きる。それが加奈崎さんだったのだと思う。ヴォーカリストとして
の能力が身体で、洋服が歌いたい歌だとすると、たいがいの人は着
たい服があっても体のサイズが合わなかったり、似合わなくて着れ
ない。だからあきらめて自分の身体に合った服を選ぶようになる。
ところが加奈崎さんは着たい服に合わせて、自由自在に変化させる
ことのできる身体を持っていた。

加奈崎さんが不器用なヴォーカリストだったら、加奈崎さんは完全
無欠のヴォーカリストとなった自分を捨てたりしなかっただろう。
普通の人だったら、苦労の末やっと手に入れた素晴らしいものが惜
しくて、それを失うことが怖くて、しがみついて絶対に離さない。
あるいは新しいもの(ここではBeat)を我がものにしようと挑
戦しても叶わず、諦めてもと居た場所に戻って行くだろう。

しかし、そうするには加奈崎さんにはヴォーカリストとしての才能
があり過ぎた。そして売れなさすぎた。才能のある人間は、売れな
い場所にとどまって自分の時代が来るまで耐えるなんてことはしな
い。売れるために、あるいは自分の信ずる場所にいくために自分の
スタイルを変える。こうして加奈崎さんは、ひとつの完成形を捨て
、次のステージに進むことになったのだと思う。

これで、18の前説に記したメモの最後のところまでたどり着いた
。問題はこの先だ。メモの最後に私は『だとしたら、K2ユニット
以降、90年代最晩期の「グランド・アーム」に至る時代における
VOICEとは何か。それは私のいう「加奈崎VOICE」と言っ
ていいのだろうか?』と書いた。

実は、このことの答えをどこに落ち着けるかはまだ決めていない。
というよりまだ迷っているといったほうがいい。このまま書き続け
ると、ちょっとした気分で、あるいは筆の勢いで、肯定にも、否定
にも、振れてしまうような不安定な状態にある。

だから、ここでいったん筆を止めようと思う。書けるならば続きは
明日の昼間書く。書けないならば、諏訪ライブ前の私のおしゃべり
はここまでとする。ただし、その前に、なぜ私がこんな設問を立て
たのかだけは説明しておかなければいけないだろう。

それが加奈崎さんにとって良かったのか悪かったのかなどと言って
みても何の意味もない。ただ事実として、80年代半ばに加奈崎さ
んはBeatを追求しはじめる。それはアルバムとしては1991
年の「Kiss of Life」にまず結実し、さらに加奈崎芳
太郎トリオの2枚のアルバム「SING YOUR LIFE」「
冬の夜の深さについて」を経て、パンクバンド「Grand Ar
m」に至り、「さらば東京」で完成する。加奈崎さん自身が「瓦版
」に書いていたように、その破壊と創造の作業の過程で、加奈崎さ
んは「賛同してくれ集まってくれた仲間たちにお返しも出来ず、失
望させてしまったかもしれない」という状況に陥る。しかし、加奈
崎さんはひとりのミュージシャンとして真剣に音楽と向き合い、そ
の時どきに最良と信ずる選択を繰り返してきただけなわけで、その
加奈崎さんを止めることなど誰にも出来なかっただろう。

しかし、ここまで加奈崎さんのVOICEを追い求めてきた立場か
らいうと、そのBeat(「自我像」によれば、そこにリズムとグ
ルーヴも加わるが)の追求が、加奈崎さんのVOICEにとって意
味があったのかと考えてしまう。正直に言えば、マイナスだったの
ではないかという疑念を私はぬぐいきれないのだ。特に「愛がもし
すべてなら・・・」「風の生き方」のVOICEを高く評価するい
まの私にしてみれば、Beatの追求のなかでVOICEがBea
tの従属物となり、その存在意義が失われたのではないか、失われ
ないまでも背景に退いてしまったのではないか、ということを思わ
ざるを得ないのである。

こんなことを考え出したきっかけは、明らかに9月8日ライブでK
2ユニットの楽曲を聴いたことである。私の言う「加奈崎VOIC
E」はK2ユニットの楽曲では極めて影が薄かった。脇に追いやら
れていたと言ってもいい。しかし楽曲としてはK2ユニットのそれ
はどれも素晴らしかった。そのことに私は打ちのめされてしまった
のだ。しかし、K2ユニットの挑戦の延長線上に生まれた90年代
の楽曲を12月15日ライブで聴く前に、このことについて何か結
論めいたことを言ってしまっていいのかという恐れも強く感じた。
それが、いまこのまま書き進めることをためらっている理由なのだ


というわけで、9月8日ライブのことを明日書くべきかどうか一晩
ゆっくり考えさせていただきたいと思う。ということで本日はこれ
までとします。


                                             
 
19
(引用はじめ)
しかし、ここまで加奈崎さんのVOICEを追い求めてきた立場か
らいうと、そのBeat(「自我像」によれば、そこにリズムとグ
ルーヴも加わるが)の追求が、加奈崎さんのVOICEにとって意
味があったのかと考えてしまう。正直に言えば、マイナスだったの
ではないかという疑念を私はぬぐいきれないのだ。特に「愛がもし
すべてなら・・・」「風の生き方」のVOICEを高く評価するい
まの私にしてみれば、Beatの追求のなかでVOICEがBea
tの従属物となり、その存在意義が失われたのではないか、失われ
ないまでも背景に退いてしまったのではないか、ということを思わ
ざるを得ないのである。

こんなことを考え出したきっかけは、明らかに9月8日ライブでK
2ユニットの楽曲を聴いたことである。私の言う「加奈崎VOIC
E」はK2ユニットの楽曲では極めて影が薄かった。脇に追いやら
れていたと言ってもいい。しかし楽曲としてはK2ユニットのそれ
はどれも素晴らしかった。そのことに私は打ちのめされてしまった
のだ。しかし、K2ユニットの挑戦の延長線上に生まれた90年代
の楽曲を12月15日ライブで聴く前に、このことについて何か結
論めいたことを言ってしまっていいのかという恐れも強く感じた。
それが、いまこのまま書き進めることをためらっている理由なのだ

(引用おわり)

18の2の最後に私は上に引用したことを書いた。一晩考えて、前
半部分については15日の「諏訪ライブ! 1990年代を歌う」
を聴いてからあらためて書くことにした。15日のライブで、加奈
崎さんが私をどのような場所に連れていってくれて、その場所で私
が何を思うか、今から楽しみである。

後半の9月8日の「諏訪ライブ! 1980年代を歌う」で感じた
ことについては、書きかけてしまったので、もう少し丁寧に書いて
おこうと思う。

ということで、これが「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 〜古井戸か
らソロまで40年を歌う〜 第3回 1990年代を歌う」前の、
本当に最後の書き込みとなる(はずだ)。

では手元のメモ用紙に自分自身が書きなぐったことを判読しながら
、できるだけ正直にいまの思いを書こう。ただし、このメモはライ
ブ当日のものではない。iPhoneに録音したものを後で聴きながら書
いたものであることをお断りしておく。それから、話を見えやすく
するために当日のセットリストをもう一度掲げておく。

1  ステージフライト(アルバム未収録)
2  モーニングシティー(アルバム「12th fret」1983年 収録)
3  愁(アルバム「12th fret」1983年 収録)
4  Summer Days(アルバム「青空」2004年 収録)
5  外はもう秋(アルバム未収録?)
6  珈琲(アルバム「12th fret」1983年 収録)
7  レクイエム(アルバム「12th fret」1983年 収録)
8  コードナンバー(アルバム未収録)
9  Singin'in the Blues(アルバム「さらば東京」1999年 収録)
10  目が覚めねえ(アルバム未収録)
11  明日晴れたら(アルバム未収録)
12  うそじゃない(アルバム未収録)
13  ムーンライトシネマハウス(アルバム「愛がもしすべてなら・・・」1979年 収録)
14  陽炎(親愛なるNに捧ぐ)(アルバム「風の生き方/加奈崎芳郎U」1979年 収録)
15  グッバイヒーロー(アルバム未収録)
16  AIR(新曲)

(アンコール)
17  女よ泣くな(アルバム「愛がもしすべてなら」1979年 収録)
*1番のサビ前まで演奏
18  里帰り(アルバム未収録)

では、はじめよう。

私は、録音物を聴き直すとき、いつも曲名に印をつけていく。それ
は単純な印で、好いと思ったら○を、凄いと思ったら◎を付けると
いうだけのことである。そのあとで、なぜいいと思ったのか、凄い
と思ったのか、そう感じてしまった自分自身の心を分析するために
何度も聞き直す。そうやって何かが見えてきたと感じたら文章にす
る。それがいつものやり方だ(だから、BBSに何も書かない時と
いうのは、基本的に何の見通しも持てずにいる書けない状態という
ことになる)。

では、私がどの曲に印をつけたのかというと、◎が「コードナンバ
ー」「Singin'in the Blues」「目が覚めねえ」「 明日晴れたら」
「うそじゃない」の5曲、○が「レクイエム」「グッバイヒーロー
」「AIR」の3曲、それから○をつけるかどうか迷って△をつけ
たのが「珈琲」だった。練習の成果を見せてやるといって演った「
女よ泣くな」を除く全17曲中9曲、半分を超える曲に印がついた
という結果は、私のこれまでの基準からいうと悪くないと言える。

しかし問題はその中身だ。◎の5曲は全てK2ユニットの楽曲だ(
違っていたら誰か教えて)。そのこと自体には何の問題もない。そ
の5曲の演奏は本当にカッコよかった。録音を聴くと、その5曲の
演奏後に、私自身が拍手だけでなく、ヒューとかヒョーとか声を出
しているのが分かる。つまり私は絶賛していたのだ。

問題は、私がいう「加奈崎VOICE」が色濃く出ていると感じた
楽曲にこの5曲がひとつも含まれていなかったことだ。私は、9月
のライブ直前に「勝手な思い」のなかで「加奈崎VOICE(仮称
)」という概念を勝手に打ち立てた。だから当然、そういう観点で
このライブを聴き、私の説の正しさをこのライブのなかで確認しよ
うと意気込んでもいた。だから、「加奈崎VOICE」の観点から
評価できる曲に心のなかで印をつけていた。印のついたのは、録音
を聴き直したときに○をつけた「レクイエム」「グッバイヒーロー
」そして新曲の「AIR」の3曲で、K2ユニットの曲をひとつも
選んでいなかった。この結果に私はうろたえた。そして打ちのめさ
れた。「加奈崎VOICE」を言い出しでおきながら、「加奈崎V
OICE」を感じなかった楽曲が、この日のライブの最高の演奏だ
と自分自身が評価してしまったのだから。

K2ユニットのVOICEが、全く腹式呼吸ではないのかと言えば
、そういうところもある。しかし、腹式呼吸によって声の響きを生
み出そうとしているかといえば、全くそうではない。却ってそうい
う響きを余分なものとして消そうとしているのではないかという気
さえする。咽喉を横だろうが縦だろうが全く開いていないのかと言
えば、開いているところもある。しかし、意図的に咽喉を硬く閉じ
「濁声(だみごえ)」で歌う場面が多くあり、しかもその声には迫
力があった。全体としてまったく「加奈崎VOICE」の要素がな
いのかと言えば、まったくないわけではない。しかし、私が求めて
いるような生理的な「快」を与えてくれるような中低音はそこには
なかった。そもそも楽曲の作りが、そういう心地いいVOICEを
聴かせることを目的としていない。これらの楽曲の目指しているの
はBeatを聴かせることであり、そのために必要な唱法だ。それ
がどういう唱法か、いま上手く説明できないのだが、それは私のこ
れまで語ってきた「加奈崎VOICE」とは別な種類のVOICE
のようだ。演奏中に「加奈崎VOICE」が聴こえたとしても、そ
れはたまたまなのだ。

ところが、その「アンチ加奈崎VOICE」による楽曲の魅力に私
は抗うことができなかた。理性の部分では、「加奈崎VOICE」
擁護の立場から、これは違う、これは何か間違っていると拒否しな
がら、感性の部分では、そのBeatにすっかりヤラれている自分
を認めざるを得なかった。考えてみれば、1999年に再会した加
奈崎さんの「爆音ライブ」は、まさにこういう音楽の延長線上に生
まれたものだった。その加奈崎さんに魂を奪われた私が、K2ユニ
ットのBeatに惹かれてしまうのは、ある意味では当然のことで
あった。

私が「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」に惚れ込むのは
、順番からいうと、K2ユニットに打ちのめされた後のことである
が、もしかしたら「加奈崎VOICE」が全否定されかねない状況
を何とかしたいという思いから、無意識の導くままに、私はこの2
つのアルバムに吸い寄せられていったのかもしれない(これはたっ
たいま考えついたことである)。

しかし、9月8日ライブの、「愛がもしすべてなら・・・」「風の
生き方」「12th fret」収録楽曲の演奏は全く精彩を欠い
ていた。もちろんその時点でそんなカテゴリーに分けて考えていた
わけではないのだが、その演奏の違いを「完全無欠のヴォーカリス
ト時代」と、「K2ユニット=Beat時代」と名付け、9月8日
のライブを両者の対抗戦だったとすれば、「K2ユニット=Bea
t時代」の完全勝利だろう。その証拠に、「愛がもしすべてなら・
・・」「風の生き方」「12th fret」収録楽曲の演奏に私
はほとんど○を付けていない。唯一○を付けた「レクイエム」も、
アルバムの演奏とはまるで違う、どちらかといえばK2ユニットっ
ぽいBeat(あれをビートと言っていいのかな、リズムかな)に
重きをおいた演奏だった。

これは、いまここで書くべきことではないかもしれないが、私のメ
モにはこんなことまで書いてある。

(メモより引用)加奈崎さんにとって、K2時代の楽曲の、咽喉を
閉じ、声を潰し、高音域を押さえつけて歌う歌い方のほうが、高音
域を失っていることが露わにならなくていいのかもしれない。(引
用終わり)

そういえば、6月の「1970年代を歌う」の演奏楽曲中の私のな
かでのNo1演奏の「セントルイスブルース」も、咽喉を潰し高音
域を力技で抑え込むように歌っていた。アルバム「fluid vol.4 四
季の詩」を聴くと、加奈崎さんはこの歌を、細い声で歌っていて、
全く咽喉をつぶしたり声を濁したりしていない。シャウトもしても
いない。意外だが高音部では裏声を使っていたりする。それを、6
月9日ライブで、加奈崎さんは、濁声と腰の粘り(これはグルーヴ
だと、MCのなかで加奈崎さんが言っていた)で歌う歌として見事
に成立させていた。

こう見ていくと、後世に残すべき2012年の加奈崎さんのVOI
CEは、2001年に咽喉を壊して高音部を失っているということ
を考慮すれば、K2ユニットに始まり90年代に完成された時代の
VOICEのなかに求めるべきだという結論になってしまいそうだ


しかし、いまの私はそういう結論を出したくない。なぜなら、新曲
「WORDS」を聴いたときに直感したのは、そういうVOICE
ではなかったからだ。「古井戸の世界」から一貫して変わらずに今
もある何かだと感じたからだ。私は、そういうものであってほしい
と願っているだけなのかもしれない。だが、いまはどうしてもそう
いう思いを捨てきれないのだ。

といったところで、書くことがなくなった。この問いの答えは、1
2月15日に加奈崎さんが与えてくれる。その答えが、よきもので
あることを信じて、今日はゆっくりやすもう。では、みなさん、明
日お会いしましょう。


                                             
 
20
「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 〜古井戸からソロまでの40年を
歌う〜 第3回 1990年代を歌う」が終った。

今回のライブはメモを取りながら聞いた。もちろん例の○付けもし
た。私がどの曲に○を付けたか、その結果をここにそのまま記そう
と思う。今回もiPhoneで勝手に録音させていただいたが、まだ通し
では聴き直していない。だから印は、当日の、その瞬間瞬間の印象
によるものである。なお●は、3重丸を意味する。

   涙が止まらない
   天然の進化
◎  お別れの時
◎  CANDLE SONG#2
○  聖夜'95〜ひつじかいのうた〜
○  恋する曖昧
◎+ 500マイル〜ミラー
◎  噫・無常
●  End World
●  アリガトウ・アリガトウ
◎  山麓
(泣いてしまったため評価不能) 凡夫
◎  最後の誘惑
(泣いてしまったため評価不能) My Life
(アンコールの部)
◎ (仮)BONEもしくはWIND
● さらば東京
◎ もう眠れる

全17曲中、無印が2曲、○印が2曲、◎印が8曲、●印が3曲、
評定不能が2曲(それはもちろん●印以上、印がつけられないくら
いよかったという意味である)。17曲中9曲に何らかの印をつけ
た前回との差が大きすぎる。ここではその意味について何もしゃべ
らない。いや、しゃべれない。

「なぜいいと思ったのか、なぜ凄いと思ったのか、そう感じてしま
った自分自身の心を分析するために何度も聞き直し、何かが見えて
きたと感じたら文章にする」のが私のやり方だと言った。これから
録音したものを毎日毎日聴き直す生活になるだろう。そして、自分
が感じたことの意味について考えようと思う。

打ち上げの席で、古井戸時代から加奈崎さんを聴き続けているコア
なファンのお一人から「K2ユニットについて、加奈崎さん一人で
演奏したものを聴いて分かったようなことを言ってはいけない」と
指摘されたのも気になっている。幸い、シネマレイクで演奏したK
2ユニットの音源が手に入りそうなので、それも聴かなければなら
ない。

もろもろ含めて、ここに何かを書いてもいいかなと思えるようにな
るまでには時間がかかりそうだ。3月9日ライブの前までに、もの
が言えるようになっていればいいのだが。わたくしは、またしばら
く潜ります。

というわけで、少し早いですが、皆様、よいクリスマスと新年をお
迎えください。

A merry merry Christmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear


                                             
 
21の1
最近、私はなぜか「古井戸2000」ばかり聴いている。

きっかけは「勝手な思い」を勝手に冬眠させたあと、90年代のア
ルバムの総復習をしたことだ。なぜ総復習をしたかというと、12
月15日の「加奈崎芳太郎 諏訪ライブ! 〜古井戸からソロまで
の40年を歌う〜 第3回 1990年代を歌う」前の「勝手な思
い」のメインは「愛がもしすべてなら・・・」と「風の生き方」と
いう80年代(正確には79年だが)のアルバムを巡る話で、90
年代の楽曲については、予告的に触れただけで当日を迎えてしまっ
たからだ。ちょっと長いが、12・15前に90年代の楽曲につい
て私がどんなふうに触れていたか引用してみる。

(引用はじめ)80年代半ばに加奈崎さんはBeatを追求しはじ
める。それはアルバムとしては1991年の「Kiss of L
ife」にまず結実し、さらに加奈崎芳太郎トリオの2枚のアルバ
ム「SING YOUR LIFE」「冬の夜の深さについて」を
経て、パンクバンドであるGrand Armに至り、「さらば東
京」で完成する。加奈崎さん自身が「瓦版」に書いていたように、
その破壊と創造の作業の過程で、加奈崎さんは「賛同してくれ集ま
ってくれた仲間たちにお返しも出来ず、失望させてしまったかもし
れない」という状況に陥る。しかし、加奈崎さんはひとりのミュー
ジシャンとして真剣に音楽と向き合い、そのときそのときに最良と
信ずる選択を繰り返してきただけなわけで、その加奈崎さんを止め
ることなど誰にも出来なかっただろう。

しかし、ここまで加奈崎さんのVOICEを追い求めてきた立場か
らいうと、そのBeat(「自我像」によれば、そこにリズムとグ
ルーヴも加わるが)の追求が、VOICEの進化にとって意味があ
ったのか、あるいはマイナスだったのではないかという疑問をぬぐ
いきれないのだ。特に「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方
」で完成したVOICEを高く評価するいまの私にしてみれば、B
eatの追求のなかで、VOICEがBeatの従属物となり、そ
の存在意義が失われたのではないか、失われないまでも背景に退い
てしまったのではないか、ということを思わざるを得ないのである


こんなことを考え出したのは、明らかに9月8日ライブでK2ユニ
ットの楽曲を聴いたことがきっかけである。私の言う「加奈崎VO
ICE」はK2ユニットにはない。少なくとも影が薄かった。しか
し楽曲としては素晴らしかった。そのことに打ちのめされてしまっ
たのだ。しかし、K2ユニットの挑戦の延長線上に生まれた90年
代の楽曲を、12月15日ライブで聴く前に、何かを結論づけてし
まっていいのかという恐れも強く感じている。(引用おわり)

このことに答えを出すためには、どうしても90年代の演奏を聞き
直す必要があった。しかも、それは12・15のライブ録音ではな
く、アルバムでなければならなかった。

もちろんiPhoneにこっそり録音した当日の演奏は聴いた。しかし、
これを聴き込んでも何も見えてこないと私は感じてしまった。それ
は、「勝手な思い20」を見返してもらえば分かるように、12・
15ライブに私が完全にやられてしまったからだ。9・8ライブで
はK2ユニットの楽曲に「打ちのめされた」と言ったが、今度はや
られてしまった。やられたというのは「犯られた」ということだ。
本当は「完敗を喫した」という言葉を使いたいくらいなのだが、で
はいったい何が勝って何が負けたのかというと、変な話になるので
取りあえずは「犯られた」ということにしておく(「犯られた」で
も変な話になるか)。

これは、「勝手な思い19」に書いた、「完全無欠のヴォーカリス
ト時代」(私のいう「加奈崎VOICE」の洗練されたもの)と、
「K2ユニット=Beat時代」(アンチ「加奈崎VOICE」)
という2分法に関係している。9・8ライブの感想のなかで私自身
がそういう2分法を使ったのだが、その時点ですでに私は、自分の
言いだした「加奈崎VOICE」が実は幻だったのではないかとい
う不安と闘っている。そして、その結論を先送りして12・15ラ
イブに臨んだ。

そして結論から言えば、私は「犯られた」。「完敗を喫した」。ラ
イブ後の「勝手な思い20」で私は以下のようなことを言っている


(引用はじめ)「なぜいいと思ったのか、なぜ凄いと思ったのか、
そう感じてしまった自分自身の心を分析するために何度も聞き直し
、何かが見えてきたと感じたら文章にする」のが私のやり方だと言
った。これから録音したものを毎日毎日聴き直す生活になるだろう
。そして、自分が感じたことの意味について考えようと思う。(引
用おわり)

これだと「犯られた」わけでも「完敗を喫した」わけでもないよう
に聞こえる。しかし、この時点で私のなかで結論は出てしまってい
たのだ。私の論は敗れたのだ。崩れたのだ。しかしその時点でそれ
を口にするのはあまりに辛かった。そこで「敗北宣言」を出すかわ
りに、あらゆるものを断ち切るように「冬眠」を宣言したのだった


というわけで「犯られた」ライブの音源を繰り返し聴くことは、と
てもではないが辛くて出来なかったのだ。しかしそれでも「VOI
CE」というタイトル(そういえば最近女性シンガーの誰かがその
タイトルのアルバムを出してしまったな)のニューアルバムを夢見
る私は、VOICE論をそのまま放り出すわけにもいかなかった。
そこで90年代のアルバムを聴くことにしたのだ。


結論からいうと、それは私にとって極めて気持ちのいい作業であっ
た。楽しいといってもいいかもしれない。「90年代を歌う201
2年12月15日の加奈崎芳太郎に犯られてしまった私を、90年
代を歌う90年代の加奈崎芳太郎が慰め、傷を癒してくれている」
そんな風に感じながら私はその作業に没入した。

「Kiss of Life」〜「SING YOUR LIFE」〜「冬の夜の深さについて
」〜「海賊版−Live'97〜'98−」〜「さらば東京」〜「1999.12.22
JeanJean Last Solo Night」。ひとつのアルバムを繰り返し聴く。
そして納得したら次のアルバムへと進む。そんな作業を12月下旬
からはじめ、ひとつひとつアルバムを辿って行った。途中家庭の事
情で中断を余儀なくされたが、基本的にはそんな作業は1月末頃ま
で断続的に続いた。

いま「納得」という言葉を使ったが、それは「何かを理解した」と
か「誰かに向かって何かを説明できるようになった」という意味で
はない。私のなかに何かが満ちて「もういいかな」と思えたときに
「納得」して次のアルバムに移るということで、それ以上でもそれ
以下でもなかった。そして、そんなふうに「何かを語らなければな
らない」という強迫観念抜きに加奈崎さんのVOICEを受容する
ことによって、いつしか私は癒され、浄められていったのだと思う


これはいまの時点で思い返して感じていることなのだが、私はその
作業を通じて、90年代の加奈崎さんのVOICEと向き合うだけ
でなく、1999年に加奈崎さんを再発見した頃の自分との再会も
果たしていたのかもしれない。

いま思い返すと、抜け出すのに一番時間がかったのはGrand 
Armだった。その理由は、だぶん私自身が、Grand Arm
でのVOICEが、加奈崎さんの「VOIVEの極北」だと当たり
をつけていたからだと思う。それをいま「先入観」と言い直しても
いい。しかし、本当にそうだったのかと問われれば、何とも言えな
い。私は「語る」ために聴いていたわけではなかったし、本当のこ
とを言えば今も「語るモード」になっていない私には、自信満々に
それを判断することができないからだ。

いずれにしろ、そんなふうにして1月の終わりごろに「JeanJean L
ast Solo Night」まで辿りつき、そこも抜け出した私は、当たり前
のように「古井戸2000」に進んだ。あとで考えれば、「JeanJe
anLast Solo Night」は1999年12月の演奏で、「古井戸20
00」は2000年3月の演奏だから、90年代は「JeanJean Las
t Solo Night」で終わりである。しかし、わずかに数か月しか時間
差がない、場所も同じJeanJeanでの演奏ということで、私は深い考
えもなくそこを踏み越え、2000年台冒頭の加奈崎芳太郎と向き
合うことになった。

ところが、そこから私は動けなくなってしまった。「古井戸200
0」というアルバムに居付いてしまい、私は前にも後ろにも動けな
くなってしまったのである。そして、何と、私は未だにそこに留ま
っているのである。

このことの意味を最初私は理解出来なかった。というより「語る」
ことを前提とぜずに聴いていたから、人に説明する必要もないので
理解する気がそもそもなかったといった方がいいのかもしれない。

しかし、いまなら多少の説明が出来る。それは、この「勝手な思い
」を再開しなきゃと思い、何かを語らなきゃと思ったからだ。語ろ
うとして自分の中を点検してみたら、少々ではあるが語ることがな
いわけではないことに気づいたといったところである。というわけ
で、そのことについて、これから語ろうと思う(信じられないこと
だが、これからが本題で、ここまでは導入なのであった)。(21
の2につづく)


                                             
 
21の2
(21の1よりのつづき)
「古井戸2000」に私が居付いてしまった理由。それは間違いな
く、このアルバムを聴くことで、私が追い求めている「加奈崎芳太
郎のVOICEの本質」が見えてくると、私自身が感じたからだ。
いや、それは「感じた」というほど明確なものではない。それは「
予感」とか「前兆」とかいった微かで曖昧模糊としたレベルの感覚
だ。そういう引っ掛かりがあったから、そこに何かがあると感じた
から、私は「古井戸2000」を聞き続けたのだし、今もそこにと
どまり続けているのだろう。

もうひとつは、そこで歌われているのが古井戸の楽曲だからだろう
。このアルバムでの加奈崎さんのVOICEは、私のいう「K2ユ
ニット=Beat時代」(アンチ「加奈崎VOICE」)の極北で
あるGrand Armを通り抜けたVOICである。古井戸を歌
うからといって70年代の唱法を再現したりなどしていない。そう
いうVOICEで歌っている。

そのことにより私たちはふたつの時代を比較できる。実はこのこと
は、「語る」ことを前提とせずに聴いていたときには、それほど意
識していたことではなかった。おととい「語る」ことを決意し、で
はなぜ自分は「古井戸2000」に居付いてしまったのかと自問し
てみたら、すぐにこの答えに辿り着いた。その程度の考えである。
だから、底が浅いといえば浅い。嘘っぽいといえば嘘っぽい。

例えばそれはこういうことだ。「古井戸2000」の2曲目は「花
言葉」であるが、それを私たちは、1971年のアルバム「唄の市
第一集」と、1979年のアルバム「愛がもしすべてなら・・・」
でも聴くことができる。全く同じkeyで、しかし全く違う唱法で
歌われる「花言葉」を聴くと、私たちはおのずと加奈崎芳太郎のV
OICEの変遷について思いを致さざるを得なくなる。

と言いつつ、そうやって比較して聴いてみたら意味があるかなあと
思い、実際に比較してみたのは、昨晩この「勝手な思い」を再開す
る直前のことであった。そういうわけだから薄っぺらなことしか言
えないのだが、実際に比較してみると、なるほどと思うことはある
。「加奈崎VOICE時代」〜「完全無欠のヴォーカリスト時代」
〜「K2ユニット以降のBeat時代」というVOICE変遷のサ
ンプルとして面白いといえないこともない。しかしなぜかそのこと
を大発見であるかのように騒ぐ気持ちはいまの私には全くない。

2000年の冒頭に、私のいう「加奈崎VOICE」から遠く離れ
、全く別の地平にまでやってきた加奈崎芳太郎が、その時点のVO
ICEで古井戸の楽曲を歌うことには、きっと大きな意味がある。
しかし、その意味が、いまの私が簡単に気づけるようなレベルの何
かであるはずがない。何かを語り出そうするたびに、そんな思いが
突然のように重く私に圧しかかってくるのだ。

ということでここで一区切り


                                             
 
22
というわけでここから先、それほど多くのことが語れるとは思えな
い。しかし、語りはじめた以上は、いま私のなかにあることは、と
りあえず全部吐き出しておこうと思う。

いま、「語る」必要から「古井戸2000」をもう一度聞き直した
ところである。結論を一言で言えば、「めちゃくちゃいい! 以上
」、である。いまの私には残念ながら、それ以上語るべき言葉が出
てこない。いまいち自信がなく、言葉を紡ぎだすパワーが不足して
いるのだ。そこで過去に語った自分の言葉で、このことの補強を試
みようと思う。

(引用はじめ)このVOICEが、全く腹式呼吸ではないのかと言
えば、そういうところもある。しかし、腹式呼吸によって声の響き
を生み出そうとしているかといえば、全くそうではない。却ってそ
ういう響きを余分なものとして消そうとしているのではないかとい
う気さえする。咽喉を横だろうが縦だろうが全く開いていないのか
と言えば、開いているところもある。しかし、意図的に咽喉を硬く
閉じ「濁声(だみごえ)」で歌う場面が多くあり、しかもその声は
迫力がある。全体として全く「加奈崎VOICE」の要素がないの
かと言えば、全くないわけではない。しかし、私が求めているよう
な生理的な「快」を与えてくれるような中低音の魅力的なVOIC
Eはここにはない。

ところが、その「アンチ加奈崎VOICE」の魅力に私は抗うこと
ができない。「加奈崎VOICE」擁護の立場から、理性の部分で
は、これは違う、これは何か間違っている、と拒否しながら、感性
の部分では、このVOICEにすっかり犯られている自分を認めざ
るを得ない。
考えてみれば、1999年に再会した加奈崎芳太郎の「爆音ライブ
」とは、まさにこういう音楽だった。その加奈崎芳太郎に魂を奪わ
れた私が、「古井戸2000」の古井戸に惹きつけられてしまうの
は、ある意味では当然のことではなかったか。(引用おわり)

まったくいやになる。白状いたします。私はいま「捏造」をいたし
ました。「引用」ですといって掲載した上記の文章は、実は9・8
ライブのK2ユニット楽曲のVOICEについて語ったものを加工
したものでした。しかし、K2ユニット楽曲のVOICEについて
語ったことが、「古井戸2000」のVOICEの説明にまんま嵌
って、そこから離れられない今の自分の心情を的確に言い表してし
まうとは驚くべきことだ。そのことをどう理解したいいのか。

ここ、で結論を急がず、ちょっと話題をずらす。

「古井戸2000」には、古井戸時代の楽曲でないものが3曲ある
。それは「逃げるバカ」「MY R&R」「幸せな街」の3曲であ
。「MY R&R」はちゃぼさんの1999年の同名アルバムのなかの歌を、
古井戸2000の楽曲として取り上げたものだ。「逃げる
バカ」は加奈崎さんが、「幸せな街」は橋本はじめさんが、このJe
anJeanライブのために書き下ろしたものだ。つまり新曲だ。

私が何を言いたいのかというと、それらの生まれたての歌と一緒に
並べて歌われる1970年代の古井戸の歌たちの間に何の違和感も
ない、違いが見分けられないということを言いたいのだ。

普通だったら、30年前の楽曲を演奏すれば、どうしようもなく染
み付いた時代の匂いにより、古色蒼然たるものになっているか、そ
ういう陳腐さを免れていたとしても、その歌の時代のなかにいた自
分を思い出すための装置としての意味しか持ちえない。ところが古
井戸2000の演奏する古井戸の楽曲にはそういうカビ臭さが微塵
も感じられない。見事なほど全く感じられない。

ここは深入りするところではないので例はひとつだけにしておくが
、古井戸2000は「お正月だよ」という楽曲を取り上げて演奏し
ている。この楽曲は内容がいかにも「四畳半フォーク」っぽくて、
いまオリジナルアルバムで聴くと「古色蒼然」に転がり落ちそうな
危ういポジションにいる(と勝手に言ってしまう)。ところが古井
戸2000は、そんな楽曲をワザとのように取り上げ、見事に20
00年のいまの曲にしてしまっている(と私は思うのだが、どうだ
ろう)。

かつて私はその辺のことを「懐メロになりえない古井戸楽曲の魅力
」として論じたことがあったが、VOICEを追い求めてここまで
たどりついた今の私の立場から言わせてもらえば、それは楽曲の魅
力もそうだが、やはり加奈崎芳太郎というヴォーカリストの力量に
よるところが大きかったと言い直すべきだろうと思う。

ヴォーカリストとして才能があり過ぎた加奈崎さんは、歌うべき歌
が変わると、それに合わせて唱法そのものを変えてきた。それはま
るで、体に合わせて着る服を選ぶのではなく、着たい服に合わせて
自分の肉体の方を改造してしまうようなもので、それが出来てしま
う有り余る才能を持ったのが加奈崎芳太郎というヴォーカリストだ
ったというようなことを以前書いたような気がするが、そんなふう
に加奈崎さんは、時代を乗り越え、ここまで歌い継いで来たのだ。

その加奈崎さんが、2000年現在のVOICEで、1970年代
の楽曲を歌おうと決め、そうした時、それは1970年代の歌とし
てではなく、2000年の生まれたての歌として表現されてしまう
。そのことに何の問題もないし、第一それはめちゃめちゃかっこい
いのだ。

そのことをグダグダ言って拒否してみてもしかたないじゃないか。
素直に「いいものはいい!」と言えばいいじゃないかと決め、そう
やって30年の旅を経て加奈崎さんが辿りついたVOICEを何と
表現したらいいのかと考えはじめたとき、私ははたと膝を打った。
閃いてしまった。そうか、そうだったのか。なぜいままでそれに気
づかなかったのか。私が「古井戸2000」に居付いてしまった理
由は、もしかしたらこれだったのだ。

「石の歌 鉄の歌」

これは橋本はじめさんが、加奈崎さんのために作ったコピーである
。私はそれを1999年にモノクロの大判のポスターで見たが、そ
れは「幸せの街」のキーワードでもあった。「幸せの街」を含むア
ルバムを繰り返し聴きながら、なぜこれこそが答えだと気付かなか
ったのか。

いや、もしかすると私は気づきたくなかったのかもしれない。それ
に気づいてしまえば、後世に残すべき2012年の加奈崎さんのV
OICEは、K2ユニットに始まり90年代をかけて完成されたV
OICEである「石の歌 鉄の歌」のなかに求めるべきだという結
論が確定してしまうから。同時に、私が「勝手な思い」で延々と書
き継いできた「加奈崎VOICE」とその進化形である「完全無欠
のヴォーカル」が、「石の歌 鉄の歌」に辿り着くための途中経過
でしかなかったということになってしまうから。

そういう答えが出てしまうことを無意識に恐れながら、しかしここ
に答えがあると予感した私は、考えることを放棄しながら「古井戸
2000」を聞き続け、その場所に居付いてしまったのではなかっ
たか。

信じられないことだが、おととい「勝手な思い」を書かなきゃと思
い立ったときに、自分がこんな地平にまで至るとは思いもしなかっ
た。しかしどうしたはずみか、こんなところまで来てしまった。来
てしまった以上、そこで理解したことを受け入れるしかないのだろ
う。

で、これで終わればよかったのだが、そういうわけにいかなくなっ
てしまった。3日前には思いもしなかった地平に立った私は、その
先にあることにも気づいてしまったのだ。それは、ある意味ではと
んでもないことだ。しかし、気づいてしまった以上、そのことにつ
いても書くしかないだろう。

ただし、それは明日にさせてもらう。息を整え、頭を鮮明にする必
要を感じるからだ。というわけで続きは明日。


                                             
 
23
今回は勿体つけないで、先に結論を書いてしまおうと思う。結論を
書いてみて、それ以上何も言うべきことがないと思ったら、そこで
筆を置く。まだ書くべきことがあると思ったらさらに書き継ぐ。そ
ういうことにさせてもらう。

(結論はじめ)後世に残すべき2012年〜2013年の加奈崎芳
太郎のVOICEは、K2ユニットに始まり90年代に完成された
「石の歌 鉄の歌」のなかにある。加奈崎芳太は、デビュー当時か
ら他の追随を許さない極めて魅力的な中低音域のVOICEを持っ
ていた。そのVOICEは、高音域にまで拡大されながら極めて洗
練されたVOICEとなっていくが、80年代にK2ユニット時代
にはじまったBeatの追求により、歌唱法そのものが大きく変わ
るなかで「石の歌 鉄の歌」となる。しかし、それは自らが歌うべ
きだと信ずる歌が要求する歌唱法を追求していった結果としての変
化であり、内的必然性のあるVOICEの進化であった。

しかし、2001年はじめに加奈崎芳太郎は咽喉を壊し、独特の乾
いた美声を、圧倒的な声量を、高音域のほとんどを失ない、レパー
トリーの大半を自在に歌うことができなくなる。その結果、後世に
残すべきVOICEは、壊れた咽喉でも表現できるVOICE、あ
るいは壊れた咽喉だからこそ表現できるVOICEという、極めて
限定的なものとなることを余儀なくされた。(結論おわり)

「勝手な思い22」の最後で、「3日前には思いもしなかった地平
に立った私は、その先にあることにも気づいてしまったのだ。それ
は、ある意味ではとんでもないことだ。」と言ったが、その「とん
でもないこと」とは結論の後半のことである。

12・15ライブで犯られ、その後「古井戸2000」を聞き続け
ていた私は、うかつにも、加奈崎さんが咽喉を壊しているという現
実を忘れていた。加奈崎さんが今でもアルバム「古井戸2000」
で歌ったように古井戸の楽曲を歌えるように錯覚していた。だから
、「勝手な思い22」を昨日アップする直前まで、結論の前半部分
だけ言って終わりにできるような気になっていた。だから、それが
錯覚であったことを思い出したとき愕然とした。血の気が引いた。
そしてとんでもないこと(今日の結論の後半)に言及しなければな
らなくなってしまったことに恐れおののいた。

同時になぜ自分が「古井戸2000」に居付いて、そこから先のア
ルバムに進めなかったのかその理由も分かってしまった。次のアル
バムは「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」だ。咽喉を壊した後
に製作されたアルバムである。きっと私は無意識のうちに加奈崎さ
んが咽喉を壊しているという事実に向き合うことを避け、だから「
古井戸2000」から動けなくなったのだ。

古井戸時代の「加奈崎VOICE」から「完全無欠のヴォーカリス
ト」への洗練化も、「完全無欠のヴォーカリスト」からBeatの
追求の結果としての「石の歌 鉄の歌」への変身も、加奈崎さん自
身の選択である。さすがに、「石の歌 鉄の歌」のような咽喉を閉
め声を絞り出すような発声法に踏み込んでしまえば声が荒れてしま
い、「愛がもしすべてなら・・・」「風の生き方」時代の、大理石
の肌理のような繊細なVOICEに後戻りすることは出来ないだろ
うが、その不可逆性も含めて加奈崎さん自らが選び取ったことだ。

基本的には自らの意思で変えたものは、自らの意思で元に戻すこと
もできる。加奈崎さんは、そういう大きな自由度のなかで自ら求め
るVOICEを自在に追及して来たのだ。咽喉を壊す前は・・・

何度も同じことをいうが、加奈崎さんは、着たい服に合わせて自ら
の肉体を改造するように歌唱法を変えることが出来る、有り余る才
能を持ったヴォーカリストだった。咽喉を壊す前は・・・

しかし、いまは違う。こんな喩をすると気を悪くするかもしれない
が、いまの加奈崎さんは、脳梗塞を患った人が残存能力で生活でき
るようにリハビリするように、残された能力で歌を表現することを
余儀なくされた、きわめて不自由な存在だ。どの声が使えてどの声
が使えないか、ひとつひとつ確かめながら音を出し入れし歌を組み
立てていかなければならない。

ここで大慌てて言っておくが、だからといって表現者として終わっ
ているとは全く思わない。ヴォーカリストとして限界だとは全く思
わない。よく知っているわけではないし、演奏を聞いたことがある
わけでもないが、館野泉というピアニストがいる。この人はステー
ジで脳溢血で倒れ右半身不随となったが、2年余の闘病生活を経て
左手一本での本格的な演奏活動を開始し、音楽の新境地を開いてい
るという。右手が使えなくなったピアニストが人を感動させる演奏
が出来るとしたら、咽喉を壊したヴォーカリストに活路がないはず
がない。

そんな大げさなことを言わなくても、歌を歌っている人の大半はか
つての加奈崎さんのような自由度を持ってはいなかった。だから、
出せる音、耳触りのいい声を探して、そこに曲のヤマ場がくるよう
に調整するようなことをしているのだ(たぶん)。いままでそんな
必要もなかった加奈崎さんが、普通の歌手と同じように、歌うため
に手間暇をかけなければいけなくなった。そういうことなのかもし
れない。

しかしである、こんなことを言いながら、それが慰めでしかないこ
とを私自身が一番よく知っている。咽喉さえ壊さなければ、加奈崎
さんは未だに「古井戸2000」で歌ったように古井戸の楽曲を歌
えたし、それ以降のやたらと高音域を使う楽曲を封印する必要もな
かったのだ。その喪失感の大きさは、私たちに到底図り知ることな
どできないだろう。

これはいまここまで書いて来て突然思いついたのだが、「勝手な思
い3」で私はフライヤーの写真について書いたが。そのとき私が感
じていたのは、このことだったのかもしれない。私はそこでこんな
風に書いていた。

(引用はじめ)
ところで写真のなかの加奈崎さんは何をしているのだろう? 瞑想
しているのだろうか? 祈っているのだろうか? 呆然としている
ようにも、意識的に気配を消しているようにも、気を失っているよ
うにも、死んでいるようにも見える。少なくとも明るく、元気で、
前向きには見えない。分かりやすいサインがどこにもないため、こ
れだと言い当てることができないが、そこに表現されているのが尋
常ではなく深い何かだということは確かだ。

ついに加奈崎さんは目まで見えなくなってしまったのか・・・。最
初にこのフライヤーを目にしたとき、私はそう思った。そんなこと
あるはずないのに、何故かそう思ってしまった。
(引用おわり)

これを私がBBSに書いた前だったか後だったか、加奈崎さん自身
がその歌の歌詞を引用していたびっくりしたことを思い出したが、
これを書いていたとき、私はなぜか、小坂忠の「機関車」という歌
のことを思っていた。

目がつぶれ
耳も聞こえなくなって
それに手まで縛られても

咽喉が壊れるまで自由自在にVOICEを操ってきた加奈崎さんも
、制約を受け入れそのなかで可能な表現を選び取っていくことを余
儀なくされた。しかし、2001年に咽喉を壊さなくても、いずれ
は年齢とともに緩慢にかつてのような表現はできなくなっていく。
その事実を受け入れ、そのなかで何をどう表現するのか。

明日のライブで2000年代の楽曲を歌う加奈崎芳太郎を聴くとい
うことは、咽喉を壊したあとの加奈崎さんが、その事実とどう向き
合ってきたのか、その軌跡を改めて知ることなのかもしれない。


                                             
 
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いろいろあって、報告が大幅に遅れたが、3.9ライブの私的評価
をここに掲載し、「勝手な思い」再開の導入としたい。

先にお断りしておくと、この評価は当日ライブを聴きながらのもの
であり、後知恵による修正はない(実は当日の録音を一度も聞き直
していない)。また、今回は曲を聞きながら付けていたメモも公開
してしまう(ただしこれは暗がりで書いたため、自分自身でも読め
ないところがあり、これについては後で表現を補った所もある)。
なお、●は三重丸の意味である。

○ My Girl(「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」「Pi
ano Forte」収録)
・(間違って)やり直した。
・何て柔らかいんだ。
・「ピアノフォルテ」のそれと全く違う印象。
・ふつうにイイ。
○ 月に腰かけて(「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」「Pian
o Forte」収録)
・ふつうにイイ。
・咽喉壊したのは、この曲を作った後だろ。(それを)感じさせな
い。
○ 千切れたラブレター(「青空」収録)
・このゆったりした感じ、いい。
○ 世界は僕たちをみている(「Piano Forte」収録)
(メモなし)
○ 世界が壊れてゆく(「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」収
録)
・落ち着きというか、平常心というか・・・
● Blue Sky(「青空」収録)
・いま聞くとよく出来た曲だ。
〇 冬の入り口(「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」収録)
(メモなし)
◎ 十六夜(「青空」収録)
・こんなにかっこいい曲だっけか?
◎ Brain(「レッツ・ゴー・アンダーグラウンド」収録)
(メモなし)
● チクショー(「ROOTS」への収録を目指すが果たせず)
(メモなし)
◎ タワー(「Piano Forte」収録)
・何ていいんだろう
ジャパニーズウェディングソング(「Piano Forte」収録)
・でもなぜいま「タワー」とこれなの?
・咽喉治ったの?
(イレギュラーな休憩)
・1999年頃(の加奈崎さん)なら絶対しなかったよな。「マイ
ガール」といい、そういうことするように、あるいは出来るように
なったんだ。
◎ OLD50(「Piano Forte」収録)
(コメントなし)
アルパイン グロウ(「Piano Forte」収録)
・完璧、(演奏は)間違えたけど。
(アンコールの部)
WORDS(ニューアルバム「VOICE」収録予定)
(コメントなし)
AIR(ニューアルバム「VOICE」収録予定)
(コメントなし)
タイトル未定(BONEあるいはWINDS)(ニューアルバム
「VOICE」収録予定)
(コメントなし)
渚から(もしくはSHORE)(ニューアルバム「VOICE」収
録予定)
(コメントなし)
◎ タイトル未定(仮題MOON)(ニューアルバム「VOICE
」収録予定)
(コメントなし)

いまこれを読むと、修正したくなる部分も、我ながら何でこんなと
いう部分もある。しかし、その違和感も含めて当日私がそんなこと
を考えながら2000年代の加奈崎芳太郎を聴いていたということ
で、御理解いただきたい。

この後をどう受け継いで展開すべきか、これを書いている時点で全
くノープランだ。しかし、とりあえず「勝手な思い」を再開すべき
だとは思っているので、とりあえず再開する。